人口急減時代の「日本」という国のたたみ方 「47都道府県」のあり方をいま一度考える
いま「広域化」が世界の1つの潮流になっています。EU(欧州連合)は言うに及ばず、お隣の中国は、アジア、ヨーロッパ、アフリカ大陸にまたがる経済圏「一帯一路」構想を掲げています。香港、マカオ、広東省の9市を1つにまとめて6900万人の巨大都市をつくる「グレーターベイエリア構想」も動き始めています。
日本にも東京、名古屋、大阪の間にリニアを通して1時間で結ぶ予定があり、数字上ここに6000万人のメガリージョン(大都市と周辺都市で構成される新しい経済活動単位)が生まれるかに見えますが、はたして現在の細切れな都道府県体制のままでうまくいくのか疑問です。
1つのメガリージョンの中とはいえ、各県には公選の知事、議会、独自の計画、予算がそれぞれにあり、それぞれが自己主張をする可能性が高いからです。
47都道府県の枠組みは時代に合うか
時代は大きく変わっています。人口減少で「入れるもの」が少なくなっていくのに、「入れる器」が人口増時代のままというのは常識的に考えておかしいです。中でも移動手段が馬、船、徒歩の時代につくられた47都道府県という枠組みは、現在の高速化し広域化した時代には合っていません。
人々の生活、経済の活動が「広域化」しているにもかかわらず、行政の仕組みは事実上「狭域化」しているのです。
今の都道府県は、あたかも47の国であるかのようです。ひと頃、改革派知事らが中心になって東北、中部、関西、九州などいくつかの県をまとめる広域圏行政の仕組みを模索したことがありましたが、今は自治体主導によるこうした府県の地域連携は、関西広域連合など一部の例外を除きなくなっています。
知事も職員も議員の多くも自県のこと以外はほとんど知らない。隣接県の人口も計画も予算も関心すらない状況です。地方自治における都道府県の壁は実に高く厚いのが実際です。
47知事の集まる全国知事会の様子を見ると、日銀の支店長会議に似ています。知事同士での論戦、地方からの提案はほとんどなく、総務大臣や国の官僚からの一方的な話を粛々とメモして帰る。どこか上意下達の風土が宿っている。知事は相互に当たらず障らずで、こうした風土は自県至上主義の表れともいえるでしょう。
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