「国民安全保障」の問題を徹底的に考えてみた 自らの問題を直視して確保する努力が必要だ

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戦後の日本は、新憲法の下で、9条2項において「戦力不保持」を宣言した。ところが、「戦力不保持」という措置が、自動的に日本の安全を保障してくれるわけではない。一方では日米安保条約によりアメリカの圧倒的な軍事力の庇護の下に入り、他方では自衛隊を創設して日本への侵略を阻止するための態勢を構築しようと努力を続けてきた。

この両者が車の両輪の如く、戦後日本の安全を維持することに貢献してきたことを指摘したい。ただし、現実世界における安全の確保のための努力の蓄積は、必ずしも望ましい形での政軍関係が確立されることを前提としていなかった。それは残された宿題として、日本国民に問いを投げかけ続けている。

戦前の日本においては、「不磨の大典」である欽定憲法に記された統帥権が天皇に帰属することから、国民は望ましい政軍関係を構想する機会を大きく制限されていた。

他方で戦後日本においては、「戦力不保持」という憲法の理念と自衛隊という「実力組織」の存在という矛盾から、国民は目をそらすことでこの困難な問題を放置し続けてきた。戦前においても、戦後においても、幅広い国民的な討議に基づいて政軍関係の構想を固めることができずにいる。望ましい政軍関係を模索する試みは、戦前の日本政治でも戦後の日本政治でも、いわば「隠された論争」となっていたのである。

政軍関係におけるトリニティ

しかしながら、ここで1つの重要な問題に直面する。それは、「政軍関係」という用語を用いることの限界である。

政軍関係は、英語では「シビリアン・コントロール」(文民統制)や、「シビル・ミリタリー・リレーションシップ」(民軍関係)と称されて、検討されることが一般的である。すなわち、日本語での「政軍関係」と、英語での上記のような2つの用語は、基本的に異なる概念であるために、議論にずれが生じてしまう。

現在では日本においても、この問題は「政」と「軍」の2者の間の関係というよりも、より広い視座から論じられることが多い。いわば、「軍事組織と社会(armed force and society)」との関係として、さまざまな問題が論じられている。その中の1つの側面として、文民統制の問題がある。

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