「国民安全保障」の問題を徹底的に考えてみた 自らの問題を直視して確保する努力が必要だ

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イギリス国防省が2011年に刊行した『軍事組織盟約(The Armed Forces Covenant)』において、この問題は「軍事組織(armed forces community)」と「国民(nation)」と「政府(government)」との3者の関係として論じられている。政府がどのように軍事組織を統制するかが、「政軍関係」の問題であり、国民がいかに軍事組織を統制するかが「文民統制」の問題である。

ただしそれは、統制についての問題だけではない。究極的には生命を失う覚悟を含めた自己犠牲を強いることになる軍人に対して、国民や政府がその困難を理解して、共感し、尊敬の念を抱き、さらには補償措置も用意して初めて、軍人もまたそのような統制に服することになる。それは相互的な関係であり、三角関係の3つの辺のすべてにおいて信頼関係が必要となる。

戦前の日本においても、戦後の日本においても、結局のところこの3者の間での望ましい調和的な信頼関係を構築することができなかった。確かに明治憲法体制下においても明治の初期には、政治指導者と軍事指導者との両者の間で円滑なコミュニケーションが可能となり、そのことが相互の信頼と、政戦両略統合が可能となっていた。

問題は、その後に陸海軍の指導部が、国民や内閣に対して優越的な地位を模索するようになり、相互の不信感が拡大していくことであった。他方で、戦後の日本においては「実力組織」としての自衛隊を統制することばかりに議論が集中して、望ましい調和的な関係を構想する機会が限られていた。すなわち、戦前においても、戦後においても、この3者の間で望ましい信頼関係が醸成されることには限界があったのだ。

「軍による安全」「軍からの安全」「政治からの安全」

それでは、戦前においても戦後においても、なぜ日本では健全な形で政軍関係について議論が発展してこなかったのか。3つの視座からこの問題を考えたい。すなわち「軍による安全」、「軍からの安全」、そして「政治からの安全」である。

戦前の日本では、「軍による安全」があまりにも重要視されることで、陸海軍が日本政治において優越的な地位を得る機会がしばしば見られた。それは、対外的な危機意識から明治維新が起こり、さらには自国の安全を求めて「富国強兵」としての近代化が進められた現実を背景としている。

国民の間で対外脅威認識が高まれば、必然的に国民は「軍による安全」を求めるであろう。そのことが、戦前日本における政軍関係における両者の間の均衡を崩し、軍事組織の発言権が拡大する契機となった。

他方で戦後の日本では、戦前の経験の反省のうえに立って「軍からの安全」が模索されるようになる。

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