歌舞伎町が東洋一の歓楽街になった必然的事情 もとは灰の中から生まれた復興の街だった

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歌舞伎町は都市計画に基づいてつくられたため、道路には大きな特徴があるのだそうだ。

歌舞伎町のタウンデザインは、T字路で町内を構成するという斬新なものでした。道の入り口に立てば正面に店が見え、しかし、次の空間はそこまで行き右折、あるいは左折しなければ見えてきません。このため、人は自然と街に引き込まれていきます。(145ページより)

確かに現在の歌舞伎町の地図を確認してみても、T字路が多いことに気づかされる。つまりはこうした複数のT字路の組み合わせによってできあがった迷路のような空間が、人をわくわくさせる活力を生み出したということだ。

歌舞伎町の噴水はなぜ閉鎖された?

レインボーガーデン(現在のシネシティ広場)の中央に噴水があったことを覚えている方も少なくないだろう。噴水にはレインボーガーデンの名にふさわしく7色のスポットライトが当たり、4種の大きなプランターが飾られていた。

そして昭和48年には名称が「ヤングスポット」に変更され再整備。その際にも噴水は残っている。

当時、東京6大学野球は、現在では想像もつかないほどの人気がありました。早慶戦の後は、早稲田大学の学生が歌舞伎町のヤングスポットに集まり、朝まで大騒ぎしていました。学生が柱に登り、池に飛び込んだため、池はいつの間にか埋め立てられてしまいました。(146ページより)

その後、平成の時代になると、ヤングスポットにはホームレスが住み着くようになる。雰囲気も変わってしまったため、誰もこない広場を再生しようと、新宿が映画の街であることに合わせて平成19(2007)年にシネシティ広場として再整備。

『新宿の迷宮を歩く: 300年の歴史探検』(平凡社新書)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

さらに平成28(2016)年には中心にあった段差をなくし、完全にフラットな広場となったのだ。

個人的にも、新宿は思い出深い街だ。母親に連れられて西口の小田急デパートや京王デパートに行った幼児の頃には、寝っ転がって怪しい袋を口に当てているヒッピーの姿に恐ろしさを感じたことがあった。

それから10数年後には歌舞伎町のディスコへ行くようになり、不器用な恋愛と失恋を繰り返したりもしていた。

そうした記憶の断片がまだ頭に残っているからこそ、乱雑な新宿はどこか愛しいのだ。そのせいか、新宿の知られざる部分を明かしてくれている本書も、とても興味深く読むことができたのだった。

印南 敦史 作家、書評家

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いんなみ あつし / Atsushi Innami

1962年生まれ。東京都出身。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。「ライフハッカー[日本版]」「ニューズウィーク日本版」「WEBRONZA」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、「ダ・ヴィンチ」など紙媒体にも寄稿。『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)、『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)など著作多数。

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