歌舞伎町が東洋一の歓楽街になった必然的事情 もとは灰の中から生まれた復興の街だった
歌舞伎町は都市計画に基づいてつくられたため、道路には大きな特徴があるのだそうだ。
確かに現在の歌舞伎町の地図を確認してみても、T字路が多いことに気づかされる。つまりはこうした複数のT字路の組み合わせによってできあがった迷路のような空間が、人をわくわくさせる活力を生み出したということだ。
歌舞伎町の噴水はなぜ閉鎖された?
レインボーガーデン(現在のシネシティ広場)の中央に噴水があったことを覚えている方も少なくないだろう。噴水にはレインボーガーデンの名にふさわしく7色のスポットライトが当たり、4種の大きなプランターが飾られていた。
そして昭和48年には名称が「ヤングスポット」に変更され再整備。その際にも噴水は残っている。
その後、平成の時代になると、ヤングスポットにはホームレスが住み着くようになる。雰囲気も変わってしまったため、誰もこない広場を再生しようと、新宿が映画の街であることに合わせて平成19(2007)年にシネシティ広場として再整備。
さらに平成28(2016)年には中心にあった段差をなくし、完全にフラットな広場となったのだ。
個人的にも、新宿は思い出深い街だ。母親に連れられて西口の小田急デパートや京王デパートに行った幼児の頃には、寝っ転がって怪しい袋を口に当てているヒッピーの姿に恐ろしさを感じたことがあった。
それから10数年後には歌舞伎町のディスコへ行くようになり、不器用な恋愛と失恋を繰り返したりもしていた。
そうした記憶の断片がまだ頭に残っているからこそ、乱雑な新宿はどこか愛しいのだ。そのせいか、新宿の知られざる部分を明かしてくれている本書も、とても興味深く読むことができたのだった。
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