歌舞伎町が東洋一の歓楽街になった必然的事情 もとは灰の中から生まれた復興の街だった

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しかも鈴木は6年間に7回の引っ越しをし、娘婿の家や友人宅の押し入れ、事務所に寝たりしていたのだという。そればかりか、その後に建てた自宅も、郷里の家屋敷も信州の別荘地も処分している。

なかなかできることではないが、こうした情熱が歌舞伎町を生み出したのだと考えれば、これからの歌舞伎町が目指すべきものも見えてくるのではないだろうか?

コマ劇場の「コマ」の意味とは?

昭和31(1956)年、歌舞伎町に新宿コマ劇場が完成する。現在のゴジラがいる東宝ビルの場所にできた、座席数2000を超える都内最大級規模の劇場である。こけら落としには、映画『オクラホマ!』が上映された。

ところで、コマ劇場の「コマ」とは何を意味するのだろうか?

コマ劇場の由来は、三段の円形舞台がコマのように回りながらせり上がる仕掛けが施されていることによるものです。コマ劇場ができたときには、周辺の住民におもちゃのコマが記念品として配られました。(142ページより)

当初の計画にあった歌舞伎劇場は残念ながらできなかったものの、鈴木は芸能施設の誘致を働きかけ続けた。その結果、東宝を説得して誕生したのがコマ劇場だったというわけだ。

ご存じのとおり、コマ劇場は歌舞伎町のみならず新宿のシンボル、ランドマークとなった。昭和33(1958)年には、第9回紅白歌合戦も開催された。

また、美空ひばりや北島三郎といった演歌界の大物が出演したことから「演歌の殿堂」とも呼ばれていたが、一方、ミュージカルやボリショイ劇場バレエ団、宝塚歌劇など多彩な興行も行われていた。

そのかいあって、新宿コマ劇場は開設以来4000万人以上の観客を集めた。しかし施設の老朽化もあり、歌舞伎町再開発の一環として平成20(2008)年に52年の幕を閉じている。

その後、地上30階地下1階の新宿東宝ビルとして復活したのは平成27(2015)年のこと。ビルの8階部分には先述のゴジラヘッドができ、歌舞伎町の新たなシンボルとなったわけである。なお、昼の12時から夜の8時まで1時間おきにゴジラがほえる新宿東宝ビルには、最新のシネコンであるTOHOシネマズ新宿やホテルグレイスリー新宿が入っている。かつて鈴木喜兵衛が目指した「道義的繁華街」に近づきつつあるということだ。

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