「働く時間減らせばOK」と考える経営者の大誤解 「生産性の向上」無視したままではジリ貧だ

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ですから、結局は「少ない労働時間で同じ成果を上げる」ということを目指す、つまり労働時間をいかに削減できるかという問題に行き着くわけです。

今の政府や企業が行っている施策の多くが、「労働時間を減らす施策」です。例えば、時間外労働の上限規制(原則月45時間、年間360時間)は、残業代が減ることで人件費が減ります。

「高度プロフェッショナル制度」も、労働基準法に定められた労働時間、休憩、休日および深夜の割増賃金に関する規定を適用しない制度です。フルタイムでなくても働きやすいようにするとか、ワークライフバランスとか、これも結果的には「少ない時間で働ける」ことを推進している施策です。

現状の働き方改革は、生産性を上げるためにインプットを減らすことばかりに注力しているといってよいでしょう。

働き方改革の「大きな見落とし」

このように労働時間短縮(時短)ばかりを進めようとするから「働き方改革」が、「働かない方法の改革」とか「休み方改革」であると揶揄されてしまうわけです。さらに、ここには大きな問題が隠れています。

理屈では、確かに同じ利益(付加価値)を少ない労働時間、少ない人件費で出すことができれば生産性は上がります。ですが、実際にそうはなりません。

というのも、もし働く人の能力が変わらない状態でインプットである労働時間を減らせば、利益(付加価値)とは結局「労働時間」と「能力」の積ですから、アウトプットは減ります。前述した分母(労働時間、人件費)だけでなく、分子も(利益、付加価値)も減るわけですから、生産性は決して向上しないのです。

これまでの流れを式で表現してみますと以下のようになります。

①「利益(付加価値)」=「労働時間」×「能力」
②「生産性」=「利益(付加価値)」÷「人件費≒労働時間」
③「能力」=「労働時間」×「能力」÷「労働時間」

「生産性」の正体が、働く人の「能力」であることがわかります。つまり、「働き方改革」とは、働く人々の能力を向上させることなのです。にもかかわらず、「能力の向上」に手をつけずに労働時間を減らせば、それに連動して利益も減ることになり、結局、生産性が向上することはないでしょう。

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