「貧困」を考えるうえで背けられない客観的事実 数字だけでなく貧困に生きる人の声も必要だ

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このように、「貧困」と言ってもさまざまな尺度があり、先進国の中にも「貧困」は存在します。日本は「絶対的貧困」こそ少ないものの、「相対的貧困」の年次推移を見てみると、実に6人に1人が貧困状態にあり、その割合は増加傾向にあります。国際比較でも、日本の相対的貧困率の高さはOECD諸国の中で上から数えたほうが早いくらいなのです。

貧困の歴史―「寄せ場」から「派遣村」まで

では、この「貧困」という問題は、この社会の中でどのように存在してきたのか、その歴史を確認してみましょう。

「寄せ場」という言葉を知っていますか? 日雇い労働者と彼らを雇いたい人が集まる場のことです。高度経済成長期には、日常的に行われていたことですが、違法・不当な労働環境も多く、社会保険や労災に入れないこともざらでした。

日本の建築ラッシュの担い手として活躍したのが彼らなのですが、バブル崩壊以後、その多くが職を失いました。収入も、貯蓄も、保障もない。家族もいない。ドヤ(簡易宿所)に泊まるお金もない。そうした人々が駅や公園、河川敷などに「ホームレス」として住むようになったのです。

当初、国や自治体は彼らを排除しようとしました。1994年と1996年には新宿で「強制排除」がおこなわれ、当事者・支援者の反対運動が盛んになりました。

1998年、新宿駅地下の段ボール村での火災で亡くなった方が出たことで、ホームレスの人たちが置かれた劣悪な環境に注目が集まり、2002年には「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法(ホームレス自立支援法)」が成立。ホームレス問題の解決が国の責任とされたのです。

そして現在、雇用環境は大きな変化を迎えています。2004年に派遣法が改正され、製造業において派遣労働が可能になりました。公的な機関でも派遣労働者や契約社員など、不安定な働き方・働かせ方が一般化し、「ワーキングプア」と呼ばれる働きながらも貧困状態にある人たちの存在が顕在化しました。

「寄せ場」を中心としていた日雇い労働の仕組みも、インターネットや携帯電話の普及により、日雇い派遣、登録型派遣という形式で一部合法化され、ウェブサイトを通じて職を探したり、携帯電話を使って就活が行われたりするようになりました。この流れは、「ネットカフェ難民」と呼ばれる人たちの増加を加速しました。

2008年のリーマンショックの衝撃も大きなものでした。派遣労働者が大量に雇い止めされた結果、年末年始の日比谷公園に一時的とはいえ約500人が押し寄せました。雇用の不安定さが住まいの喪失に直結しかねないという現実が、「年越し派遣村」などの活動を通じて広く認知されるようになったのです。

時代の変化とともに雇用・家族・住まいのあり方は変容し、若年層にまでも「新しい貧困層」が拡大しているのが、この国の現状です。

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