この後、大学での講義があるというマコトさんの予定に合わせ、取材を終えようとしたとき、マコトさんがこうつぶやいた。
「川崎と練馬の事件以来、突然動悸がしたりして。あまり体調がよくありません」。
「川崎と練馬の事件」とは、神奈川・川崎市で児童らが殺傷された事件と、東京・練馬区で父親が長男を刺し殺した事件のことだ。これらは、「中高年のひきこもり」が一気に注目を集めるきっかけともなった。
「ひとごとじゃない。一度失敗すると、次は希望から外れた仕事しかなくなる。家族のために、私なりに考えてやってきたのに、うまくいかないことが重なって……。それなのに、(事件に対する)ネットのコメントを見てると、『努力が足りない』とか『甘えてる』とか、そんなのばかりで、つらい状況に対する理解や思いやりがないと感じます」
マコトさんのキャリアのつまずきは、もしかすると「家族のせい」ばかりではないかもしれない。ただ、家族に問題があるなら、適切な距離を取るべきだったとか、転職先でもっと頑張るべきだったとか、“外野”が言っても、それは詮ないことだろう。
再チャレンジ自体がままならない時代の課題
何より、マコトさんが家族を心配する気持ちは本物だったし、しきりに「家族の問題」を持ち出すのは、マコトさん自身が誰よりも「自己責任」の呪縛にさいなまれていることの表れにも、私には見えた。
話は少しずれるが、社会的ひきこもりの背景には、家族主義と儒教文化があるといわれる。子どもの面倒は親がみる、老いた親の面倒は子どもがみるといった家族観が、ひきこもりという状況を生み出すのだ、と。
傾向として、日本と同じく中国や韓国などでも、ひきこもりが社会問題になっているのに対し、欧米では比較的少ないとされるのは、こうした価値観の違いがある。ただ、イギリスやアメリカなどで、若年層の問題がないかというと、そんなことはない。学校を卒業した後は、実家を離れるのが当たり前の社会では、会社などで不適合を起こした若者は「ヤングホームレス」になるしかない。
ひきこもりか、ホームレスか――。どちらがよいとは簡単にはいえない話である。ただ、いったんつまずいた子どもが家族の元でやり直す機会を得ることができた日本の“システム”は決して悪いものではなかった。
家族を見捨てられないマコトさん、ひきこもりの子を抱え込もうとする親。再チャレンジ自体がままならない時代、家族を思う気持ちがかえって足かせになっている。
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