「高学歴ワーキングプア」39歳独身男性の悲哀

都内の大学で客員教授だが、月収は15万円

ただ、話を聞くにつれ、マコトさんの話には少なからず“ほころび”も見えてきた。

新卒時は就職超氷河期時代。そんな中、希望通りの銀行に就職することができた。しかし、同じ頃、会社員だった父親の病状が悪化。突然、英語教室を開くと言ったり、選挙に出ると言い出した。実際に選挙に出馬、落選して供託金を没収されたという。

双極性障害を患う人の躁状態は、同居する家族にも重い負担をかけるという。実家暮らしだったマコトさんはこのとき、父親の言動が家族に与えた影響について多くを語ろうとしない。ただ、「毎日毎日、狂った人の相手をするんですよ。心身ともに限界でした」。マコトさん自身、朝、突然、出勤できなくなるなど、勤怠に支障をきたすようになったという。

「会社には『実家を出たいので寮に入れてほしい』と頼んだのですが、『この状況で仕事を続けるのは無理。まずは父親を入院させなさい』と言われました。だから、私は母に入院させようと言ったのに、世間体を気にする母は聞く耳を持ってくれませんでした」

銀行では、PPPやPFIといった公民連携を進めるための投資業務に携わりたいと思っていたのに、異動で法人営業の担当になった。マコトさんに言わせると、その異動は家族のトラブルの影響を受けたものであり、また、その銀行ではいったん営業畑勤務になると、改めて投資部門に異動できる可能性は低い。結局、5年足らずで銀行を辞めた。

前向きとは言えない転職が続いた

その後、いくつかのシンクタンクなどに勤務。希望通り、地方自治体のコンサルティング業務や、アジア各国の公民連携事業に関わった。雇用形態は正規のことも、非正規のこともあったが、この間、働きながら大学院で経営学の修士号も取得。ただ、いずれも1年から5年で辞めている。それぞれの退職の経緯を、マコトさんは次のように説明する。

「会社にとってよかれと思って大学院に行ったのに、社内にはよく思わない人もいたみたいでした。ちょうどリーマンショックの影響で会社の業績が悪化して、上司からは『君が辞めればいいんじゃないか』みたいなことを言われて……」

「(アジア関連の仕事を任されたとき)航空券の手配や、現地での段取りがうまくいかないことがありました。周囲から『力不足』という評価を受けてしまい、次年度の更新は私から辞退しました」

いずれにしても、前向きなステップアップのための転職とは言えないようだった。

この後、霞が関官庁の非常勤職員に。それまで、かろうじて500万円前後をキープしてきた年収は、ここで一気に約200万円にダウンした。

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