フランスワインの定着 その1:北限突破《ワイン片手に経営論》第5回

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■ボルドーへの進出

 他方、ボルドー地方を領土としていたビトゥリゲス・ウィビスキ族(ブルジュを首都とするビトゥリゲス・クビ族とは異なる部族)も同地の厳しい気候に耐えられるブドウ品種を探していました。アロブロゲス族は、新品種を開発する前から、ブドウ栽培を行っており、既存のブドウ品種の入手も簡単でしたが、ビトゥリゲス・ウィビスキ族はそれまでブドウ栽培を行ったことはなく、品種の入手が彼らの最初の課題でした。そして、最終的に、ビトゥリゲス・ウィビスキ族は、コルメラの著述によると「最近になって非常に遠いところから持ち込まれた」品種を入手するのです。アロブロゲス族の新品種の開発とビトゥリゲス・ウィビスキ族の新品種の入手の違いは、ローマ人のこれら新品種の呼び方に表れています。前者はラテン語で「発見された」という意味の「インウェンタ」、後者はラテン語で「取り寄せた」という意味の「アルケシタ」と呼ばれたのです。

 ビトゥリゲス・ウィビスキ族が入手した新品種は、この民族の名に因んで「ビトゥリカ」と名づけられました。それにしても、この「非常に遠いところ」というのが、具体的にどこから来たものかよく分からないのが問題です。

 彼らがブドウ品種を入手できるブドウ産地は、ボルドーより北には選択肢がないと考えると、3つの仮説が考えられます。一つ目は、ボルドーからトゥールーズを抜け、既にブドウ産地であった地中海のナルボンヌ、二つ目は、ナルボンヌ経由で地中海のどこか、三つ目は海路スペインへ回り、スペインに自生または栽培されていたブドウです。これら3つの仮説の中で、有力なのは二つ目、または三つ目の仮説ではないかと考えられます。

 まず、ナルボンヌのブドウ品種がボルドーのより寒冷な気候に耐えることが出来たのであれば、それより以前にすでにボルドーはワイン産地になっていたと考えられるため、一つ目の仮説の証明は厳しいものがあります。二つ目の仮説であれば、地中海のどこか遠くの土地ということになりますが、ビトゥリカは耐寒性・多産性のある当時ギリシャにおいてバリスカとして知られていた品種を起源とするという説があり、この説が正しいとなると、二つ目の仮説は否定できません。三つ目の仮説は、地中海性気候とは異なるジロンド河の多雨で風の強い気候に耐えられる品種が後者のスペインの北東部に位置するカンタブリアからナバラの地域が有力視されています。「取り寄せられた」という意味では、二つ目と三つ目の両方とも可能性がありますが、これ以上の証明は、専門の歴史家にお任せしたいと思います。

 こうしてボルドーにも新品種がもたらされたわけですが、彼らが入手したビトゥリカという品種は、現在のボルドーの主要品種であるカベルネ・ソビニョンの起源と考えられています。なお、新品種の入手だけではブドウ栽培が成功するわけではなく、ビトゥリゲス・ウィビスキ族はブドウ畑を開拓し、栽培技術に改良を重ねて現在のボルドーワインのパイオニアとなりました。こうして、現在のフランスワインの大黒柱の一つとなるボルドーワインが誕生したのです。

 ちなみに、彼らにとってのワイン市場はどこだったのでしょうか? ガリア北部は、アロブロゲス族に地の利がありましたから、ボルドーワインがガリア北部を市場とすることは考えにくく、おそらく、ボルドーにとって市場は海外のアイルランドであったと考えられています。こうしたことは、当時フランスの大西洋沿岸における交易が盛んであったことや、アイルランドの叙事詩において国王や側近がワインを飲んで宮廷の完成を祝う饗宴を催したといった事実から想像されています。

■ブドウ産地の開拓成功の意味合い

 ギリシャ・ローマ時代の地中海を中心としたブドウ栽培は、このようにして、ついにフランスに到来しました。今回の例のように、1500年以上もの前の人たちが、ブドウ品種に着目し、ブドウ栽培の可能性を広げていったことは驚嘆に値します。そして、ブドウ栽培が困難であると当時、思われていた土地を開拓し、ブドウ栽培に成功し、フランス産ワインを造り上げたその情熱を想像すると、感動せざるをえません。おそらく、ワインという飲み物そのものの魅力と、目の前に広がる魅力的なワイン市場に対峙したとき、彼らは現在の我々も驚かざるを得ない能力を発揮したのであると思います。

 しかし、これらのガリア人による成功は、ローマ人にとっては面白くないものであったに違いありません。ここで起きたことは、ローマ人の上客であるガリアが、自社の事業領域に参入したも同然であるからです。そして、このころからローマのワイン市場に変化が表れます。次回のコラムでは、このワイン市場の変化と、その変化に対し、ローマ帝国がどのような措置をとったかを綴りたいと思います。

*参考文献 ロジェ・ディオン『フランスワイン文化史全書 ブドウ畑とワインの歴史』国書刊行会、Hugh Johnson, Jancis Robinson, “The World Atlas of Wines”, Mitchell Beazley、特許庁『技術分野別特許マップ:品種改良技術』
《プロフィール》
前田琢磨(まえだ・たくま)
慶應義塾大学理工学部物理学科卒業。横河電機株式会社にてエンジニアリング業務に従事。カーネギーメロン大学産業経営大学院(MBA)修了後、アーサー・ディ・リトル・ジャパン株式会社入社。現在、プリンシパルとして経営戦略、技術戦略、知財戦略に関するコンサルティングを実施。翻訳書に『経営と技術 テクノロジーを活かす経営が企業の明暗を分ける』(英治出版)。日本ソムリエ協会認定ワインエキスパート。
◆この記事は、「GLOBIS.JP」に2009年1月28日に掲載された記事を、東洋経済オンラインの読者向けに再構成したものです。
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