横須賀の海軍カレーが「認知度1位」になるまで 明治時代のレシピを再現し、今年で20周年
創業からおよそ20年が経過した1999年に、横須賀市でカレーを利用した地域の活性化事業を始めるという話が持ち上がった。その前年の12月、海上自衛隊横須賀地方総監の退官を前に、横須賀市長や商工会議所会頭も出席して開かれた「お別れパーティー」の席上で総監が、「カレーライスが庶民の食卓に普及したのは海軍のカレーにルーツがある。海軍の街である横須賀で、カレーを地域の活性化に利用してみてはどうか」という趣旨の話をしたのが、カレー事業が始まるきっかけとなった。
市の観光課や商工会議所の職員と仲のいい島森さんは、一も二もなく、このプロジェクトに引き込まれたという。
では、そもそも海軍で出されていたカレーとは、どのようなものだったのだろうか。歴史をひもとくと、海軍が食事の洋食化を進めたのは、「脚気(かっけ)対策」だったらしい。1882年には遠洋航海に出発した軍艦の乗組員に多数の重症脚気患者が出て、25名が死亡する事件が起きるなどした。
そこで、海軍軍医総監の高木兼寛(かねひろ)が「兵食改革」に乗り出し、採用した洋食メニューの中にカレーが含まれていたとされる。ただし、海軍が具体的にいつからカレーを採用したのかははっきりしない。海軍最古のカレーのレシピとされるのは、明治も終わりに近づいた1908年に舞鶴海兵団が、料理などを担当する主計兵用に発行した教科書『海軍割烹術参考書』だ。
舞鶴海兵団のカレーレシピ
この教科書には「西洋料理の部」として、およそ70品目の洋食のレシピが掲載されており、その中に「カレイライス」の項目がある。『復刻 海軍割烹術参考書』によれば、作り方は以下のとおりだ。
こうして見ると、材料の分量も書かれておらず、レシピと言っていいのかもわからないくらい、ごく簡単な記述にすぎない。
ちなみに、このレシピに関連して「イギリス海軍ではカレー風味のシチューをパンに付けて食べていたが、これでは力が出ないので、日本海軍がご飯にかけて食べるために小麦粉を加えて“とろみ”のあるカレーを発明した。これが現在のカレーライスのルーツになった」という話が流布されているが、これは誤りだと思われる。
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