次世代を切り開いた新幹線「試験車両」列伝 どこまで行けるか?続くスピードへの挑戦
東海道新幹線の成功を受けて全国に新幹線網が計画されることになったが、1973年に将来の新幹線を想定して開発した試作電車が961形だ。長距離運転に対応すべく寝台車もつくられた。1979年12月7日に、当時建設中だった東北新幹線の小山試験線で行った試験走行では、当時の電車の世界最高時速である319kmをマークした。
この車両をベースに、東北・上越新幹線用の営業車両の先行試作車として1979年に製造されたのが962形だ。先頭車のスカート(排障器)先端にはスノウプラウなどの雪害対策、各車側面には雪切り室につながる吸気口が取り付けられていた。試験当時の白地に緑の塗装は量産車200系に継承された。筆者は上越新幹線の公式報道試乗会において新潟駅で目撃し撮影したが、10両編成中、前方3両が試験車両、他の7両は200系の編成だった。
「のぞみ」をかなえた先行車両
1987年に国鉄が分割民営化されてJRが発足すると、新幹線の高速化に向けた開発が各社で本格化した。JR東海は1992年に新開発の300系を投入し、最高時速270kmの「のぞみ」を運行開始した。
その300系の量産先行試験車として、1990年に製造されたのが300系の「J0編成」(のちにJ1編成)である。量産型300系の基本モデルとなった車両だが、量産車との大きな違いは先頭車台車付近の「膨らみ」だ。大きなパンタグラフカバーを備えて登場したのも印象的だったが、いかにパンタグラフからの騒音対策が課題であったかうかがい知れよう。
J0編成の登場時はまだ「のぞみ」の名称はなく、「ひかり」の超高速タイプとして「スーパーひかり」と一般に呼ばれていた。1990年に時速303km、1991年2月28日未明には時速325.7kmを記録。300系はそれまでの新幹線と大きく異なるフルモデルチェンジ車として大きな話題となり、筆者もこのJ0編成の撮影のため連日沿線に繰り出したものだった。
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