その思いをつづったのが、『アラフォー男子の憂鬱』(日経プレミア新書)である。アラフォー男子の気持ちを代弁した本として、人気を集め、発売後すぐに重版がかかったという。この本の執筆陣、赤木智弘、おおたとしまさ、常見陽平、速水健朗の4人が、アラフォー男子の本音をぶちまける。
「団塊ジュニア世代は、ゲーム機やパソコンなど、われわれが子どもの頃にはまったく持っていなかったものを持っていた。そのようなぜいたくばかりしてきたから、彼らはダメなのである。それに引き換えわれわれは、戦後の苦しい時代を生き抜いてきた。だからこんなにすばらしいのだ」
格差問題をめぐる言説を読み解いていくと、必ずと言っていいほど年長者のこうした言説にぶち当たる。
しかし、子どもであった僕たちには、ぜいたくをしたという自覚はまったくない。それどころか大人によって遊びがどんどん奪われていったという感覚がある。さて、僕たちは本当に年長者から見下されなければならないほどのぜいたくを享受してきたのだろうか?
僕たちが幼稚園生や小学校低学年の頃、メインの遊び場は「近所の空き地や道路」だった。僕の生まれた場所は郊外の住宅地ではあったが、まだ空いている土地も少なくなかった。約束をするわけでもないのに、毎日のように7、8人で集まり、空き地で野球をしたり、道路に立つ電柱にボールを当てるなど、さまざまな遊びをしていた。
しかし、時間が過ぎるにつれ、空き地は住宅地として売り出され、道路には一家に1台から1人に1台になりつつあった車があふれることになった。僕たちは空き地や道路から追い出され、家の中で遊ぶしかなくなった。そんな僕たちの窮地を救ったのが、テレビゲームだった。
ゲーム機本体やカセットは僕たちには高価だったから、親に買ってもらったそれらを、みんなで持ち寄って遊んでいた。人数は少し減ったが、みんなで同じ遊びをするという遊び方は、外遊びでも家遊びでも大きく変わってはいなかった。
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