実は、初代「いじめ世代」であり初代「ゆとり世代」
尾崎豊が盗んだバイクで走り出し、夜の校舎で窓ガラスを割っていたその頃。3年B組、坂本金八先生のクラスの中学生が妊娠して、「15歳の母」となったその頃。僕たちはまだ小学1年生前後だった。
考えてみれば、その中学生たちこそ、バブル世代にあたる。昔から随分と派手にやっていたわけだ。
その代わりに僕たちが中学生の頃から「いじめ」がクローズアップされるようになった。1986年には、「葬式ごっこ」などクラス担任までが加担するいじめを理由に中学生が自殺し、世間は騒然としたのだ。昨今もいじめの問題は後を絶たないが、実はそのはしりは僕らの世代だった。
バブル世代の「校内暴力」に対して、僕らの世代は「いじめ」。バブル世代が学校という権力に対して闘争していたのに対し、僕らは仲間内で削り合っていたということになる。なんだか校内暴力のほうがまだ健全なエネルギーの発散だったように思えてしまう。
荒れた学校を立て直そうと、1977年版の学習指導要領に「ゆとり」というキーワードが初登場。1980年、小学校から「ゆとり教育」が実施された。ちょうど僕が小学校に上がった年。つまり実は僕たち世代こそ、「ゆとり世代」の草分けなのだ。よく「ゆとり世代はダメだね」なんてぼやくアラフォーがいるが、本来、そんなこと言えた義理ではないのである。