『巨大銀行の消滅』を書いた元日本長期信用銀行頭取・鈴木恒男氏に聞く
1998年、日本長期信用銀行が破綻し、国有化銀行の第1号になった。「民営長銀」最後の2カ月半、頭取を務めた鈴木氏は、粉飾決算・違法配当の民事裁判で8年半にわたり被告席に座る。2007年7月の勝訴確定とほぼ同時期に「最後の責務」として執筆を開始した本書をこのほど刊行した。
--破綻に至る経緯が、むしろ淡々と書かれているという印象ですね。
感情を抑えようと意識したわけではないが、もともと事実を書き連ねるということが狙い。ただ、長銀にいた人から「無念さが残った」「読みながらそのときに思いをめぐらすと、途中でページをめくる手が止まった」といった感想もいただいている。
--破綻後に関連書籍がかなりの数、出版されました。この本は何が違うのでしょうか。
この間に「長銀本」がたくさんでたが、当事者でない人、生の体験をしていない人、ジャーナリスト、そういう人たちの実態とかけ離れたものが多い。それがそのまま歴史に記録として残り、事実の認識が固定化するのでは不本意だった。裁判が終わったならば、説明責任を果たさなければいけないと、かねがね思っていた。
銀行にいた人でも、この間の事情がのみ込めない人がたくさんいる。ジワジワときて潰れるのではなくて急変したからだ。ましてや経営陣が法律に触れるようなことをやる銀行だから潰れたというイメージに仕立て上げられてしまった。このままではかつて長銀にいた人たち、あるいは周辺のグループ会社、さらには同じ業態の長信銀のイメージが固定化してしまう。これは耐えがたい。
経営が悪化してから破綻に至るまでの過程で、当事者の不手際、判断のまずさ、それは当然ある。それにしても、その経営環境、具体的には行政であったり、金融政策であったり、政治のありよう、海外との関係、そういうことについては体系的に観察されていない。
--国有化された長銀は、違法な経営があったかどうか調査委員会による報告書を出しています。
それを踏まえて、民事・刑事で提訴がなされた。しかしこの間、裁判で明らかになったように、検察や民事裁判の原告は、客観情勢を抜きにして銀行の中の経営判断を中心に追いかけた。ここに判断ミス、これは先送りといった具合に、事象ばかり追う。特に外的な問題については欠落している。そこを埋めて再評価してもらいたいという気持ちが、裁判を通じて日ましに強くなった。
--では、ご自身では破綻理由をどうとらえているのですか。
長銀の不良債権負担が重かったのは事実だ。特にグループのノンバンクがコントロールできなくて、グループ全体としては銀行界の中でもトップクラスの不動産融資を抱えてしまった。ただ、これですぐ潰れるわけではない。その不良債権を長い目で処理していこうとして、大蔵省の文書に何回も出てくる「計画的段階的処理」という言葉に集約されるレールの上を走った。
ところが、98年3月の第1回の金融安定化法による公的資金投入のあと、事態は急変する。外圧、国内的な政治の不安定化に加え、接待問題などで大蔵省も揺さぶられ、組織が解体されるのではないかという恐怖感を持った。それにロシアの経済危機など国際的な金融不安が重なって、アメリカから日本は金融恐慌の引き金を引くなと釘を刺される。
ある時点で政治主導によって、それまでの計画的段階的処理というソフトランディングをハードランディングに切り替えたとしか考えられない。新たな公的資金投入には、どこかの銀行が破綻の危機にあることを示さないと事態を突破できないと、誰かが判断を下したのではないか。そのときに戦後の経済復興を担うという役割を終えた長信銀は候補にのぼりやすい。長銀の個人顧客はせいぜい100万人、預金を決済口座として使っている客はほとんどいない。制度的な役割を終えてなおかつ社会生活の混乱に至る懸念も少ない、と。