いち早く「両利き」にならないと生き残れない 「日本的経営」がすでにオワコンになった理由
入山:この負けパターンから脱する鍵はどこにあるのでしょうか。
冨山:会社の形や仕組みをかなり大改造し、自分自身が痛みを伴うことをしないといけませんね。単にツールとしてデジタル的な現象を取り入れるとか、おいしいところだけつまみ食いするアプローチではダメでしょう。例えば、マイクロソフトはもともとパッケージソフト屋だったのが、今では箱もCD-ROMもほとんど売っていません。今のメインビジネスは、クラウドベースのB to Bサービスです。
会社の構造そのものを変えて、市場も変えていった。そういう根本的なところをモデルチェンジしないといけないでしょう。ただし、そういう根本的な領域にメスを入れようとすると、大きい組織ほど大変で、大きさが急に短所になってしまいます。
入山:一方で、デジタルの戦いをめぐって、日本は初戦では負けたが、IOTになってモノとモノがつながる第2回戦ではまだチャンスはある、という意見もありますよね。
冨山:そこで必要になるのが、やはり両利き経営モードでしょう。左脳で考える右利き経営が強かった日本の会社が、いかに右脳的な発想をして左手を手に入れるか。あるいは、左手しか使えなかったシリコンバレーのプレーヤーが、右手も使えるようになるか。
どちらが先に両利き経営を見つけるかという競争だと思いますね。最近、日本企業が懸命にGAFAにすり寄っているのも、そういうことだろうと思います。
GAFAの栄華は永遠ではない
入山:人間というのは面白いもので、GAFAが世界を支配するような空気になっていますよね。GAFA無敵論というか。私は、これは異常な認知バイアスだと感じます。
冨山:盛者必衰は歴史の教訓です。例えば、私が就職した1980年代半ばは、IBMの未来は永久に栄華が続くようにいわれていたのに、あっという間に崩れ去った。その後、日本の電子立国は永遠なりと言ったのに、ガラガラと崩れた。だから、GAFAの栄華も永遠ではなく、データ覇権というのさえバブルにすぎないのかもしれません。
多くの場合、パラダイムの転換期に恐竜は滅びるけれども、そこを乗り越えて、生き延びる哺乳類のようなものがいます。滅びるものと生き残るものの境目はどこにあるか。それは、近現代史から学べることであり、経営者がどれだけそこを真剣に意識して取り組むかが大事です。
とくに両利きの経営では、単に右に左を加えても、両利きにならないところが難しい。脳の仕組み、つまり、企業を動かす基本OS(オペレーションシステム)を大きく変えないといけない。右利きの人が左手を使うのは容易ではなく、相当の訓練が必要です。それをやめれば、すぐに右手に戻ってしまうので、変革の持続性が問われてくるのです。