暴言や失言でも「維新」が支持を失わない理由 巧みな「ふんわりとした気分&イメージ」醸成
政令市である大阪市を廃止し、東京23区のような特別区を設置する、いわゆる「大阪都構想」(以下、都構想)。維新にとっては最大の目玉政策である。維新陣営は、堺市長選で彼らの政策の1丁目1番地である都構想を争点から意図的に外し、代わりに「金と政治」を声高に叫びながら竹山前市長と彼の応援団だった自民党のデタラメぶりをアピールした。最大の政策を隠したのは、堺市民の都構想に対するアレルギーが大阪市民よりも強いからである。事実、維新が堺市で過去2回も敗退したのは、都構想に反対する堺市民が多かったからだ。
一方、自民党大阪は統一地方選の惨敗で独自候補を立てる余裕がなく、党をあげての組織的戦いができなかった。そこに加え、同党大阪府連の会長に就任した渡嘉敷奈緒美衆院議員は都構想に賛成する姿勢を見せたことで府連は大混乱に陥った。
そこでやむなく前堺市議の野村友昭氏が自民党を離党して立候補を表明。党の支援が受けられないことで自民党大阪の有志が自主的に支援し、また共産党や市民団体などが野村氏を応援したものの、結果は13万7862票対12万3771票で敗退。約1万4000票差と予想外に接戦だったのは、後半戦から野村陣営の追い上げが勢いを増したことと堺市民の都構想アレルギーのためだろう。それでも維新は大阪府と大阪市に次いで、府下2番目の政令市の市長まで手中に収めたのである。
大阪府と大阪市、そして堺市の選挙を通じてわかったことは、維新は以前に比べてより支持層が広がり、さらに強固で盤石な組織基盤が大阪に根づいているということである。かつての新興勢力は、いまや押しも押されもせぬ巨大な地域政党に脱皮した。結党から9年、もはや立派な既成政党だ。
「暴言」「失言」でも求心力を失わない事情
大阪で維新が産声をあげたのは2010年4月のことだった。自民党大阪府議団を離党した松井一郎府議(現大阪市長)と浅田均府議(現参院議員)ら数人の府議たちが地域政党「大阪維新の会」を結党。そこに大阪では圧倒的な人気を誇った当時の橋下徹府知事(その後、大阪市長に鞍替え)が代表に就任し、世間とマスコミの注目を浴びた。
最初こそ弱小会派だと思われていた維新だが、翌2011年4月の統一地方選では"橋下チルドレン"と呼ばれる新人候補を大量に擁立し、大半が素人に毛の生えた選挙戦でありながら初戦から大勝利を果たした。このとき初めて府議会で単独過半数を取り、過半数には届かなかったものの大阪市議会でも第一会派を獲得。この統一地方選を皮切りに維新は大阪で圧倒的な存在感を示すことになる。
順風満帆、天下無敵に見えた維新にも最大の挫折が待っていた。2015年5月17日に実施された都構想の是非を問う住民投票で敗北したことである。僅差ながら反対票が賛成票を上回ったことで維新は一時、党勢に陰りが見え始めたのだ。
住民投票の結果を受け、橋下徹氏は維新の代表を降り、2015年12月に大阪市長の任期を終えてからは政界を卒業。このとき維新は最大のシンボルを失った。また、2017年10月22日投開票の衆院選では、本拠地の大阪で日本維新の会の候補者が軒並み落選する事態にも見舞われ、「維新もここまでか」と思われた時期もあった。
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