老人ホームに入居する人は「人生の負け組」か 元介護職員が明かす「老人ホーム」のリアル
運用上、当初から、本人および家族からの同意書は存在しています。特に自立系の入居者の場合、居室内のモニタリングを希望されない入居者の場合は、当然カメラは居室には設置していませんでしたが、行政の要請は、全入居者つまり、認知症の入居者、寝たきりの入居者、すべての入居者から本人が署名した同意書をとらなければ許さないという指示だったのです。
当たり前のことですが、重度の認知症の入居者にカメラの話をしても、話は理解できません。ご家族に対し、行政の指導なので……と言うと、多くの家族は怪訝(けげん)な顔をしながら、「とにかく、今までどおりモニタリングを継続してほしい」と言って、自分の認知症の親に対し、書類にサインをするように求めていたことを思い出します。数年後、結局カメラは「不適切だ」という理由で、全ホームからはずされることになりました。
「介護」という仕事へ対して矛盾する要求
介護とは、個人のプライバシーに対し、ずかずかと土足で踏み入らなければできない仕事です。つまり、プライバシーを守りながら責任ある介護を行い、「安全と安心を守ることはできない」ということを理解する必要があります。個人のプライバシーに対し、ずかずかと立ち入るのであるからこそ、そこには礼儀があり、人のことを考える「思いやり」が求められているはずです。介護業界はよく「お節介」をすることを求められますが、お節介とは、節度のある介入と訳すはずです。
しかし、今の介護業界、老人ホーム業界に突きつけられているテーマは「入居者の安全安心は確実に確保しなさい。ただし、個人のプライバシーを侵害してはいけません」ということです。そんなことができる仕組みは、はたして存在するのでしょうか? 今の報酬体系(もっと多くの報酬を払えば話は別ですが)のもとに勤務している介護職員に対し、そこまで求めることに経済合理性はあるのでしょうか。私はないと思います。つまり、無理だということです。
老人ホームの大きな流れとしては、入居者の安全安心の確保には目をつぶり、個人のプライバシーの確保に対し一所懸命なホームと、昔の私たちのように機器を活用して(当時はカメラ、今はAIやIoTの活用)、安心と安全を確保しながら、プライバシーの確保の両立を目指すホームとに分かれています。
いちばん重要なことは、介護という仕事は、「けっして傍観者になってはいけない」ということです。老人ホームなどを訪問すると、「入居者と寄り添う介護」をテーマにしているホームが多くありますが、入居者と寄り添うということは、傍観者ではなく当事者として入居者やその家族と対峙(たいじ)することだと、理解しなければなりません。プライバシーの侵害と介護支援との関係は、読者のみなさんが考えている以上に、実は重要で難しい問題なのだということをご理解ください。
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