関東出身、西日本で育った「105系」が最後の活躍 元は常磐線の国鉄車両、奈良・和歌山から引退

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1981(昭和56)年に、まず初期グループが登場した。2編成以上の連結運用を考慮して、貫通型の前面を採用。両脇の窓周囲を黒くしたことから“パンダ”の愛称が付いた。側面は片側3扉で、裾絞りのない113系といった雰囲気である。同番台は広島県の福塩線と山口県の宇部線・小野田線に投入され、当初の目的どおり旧形国電を置き換えた。

105系は期待どおりの性能を発揮したことから、可部線の旧形国電置き換え用や奈良線・和歌山線などの電化開業用として、1984(昭和59)年に追加製造されることになった。

常磐線の余剰車両を改造

ところが、当時国鉄は莫大な赤字を抱えており、車両の新製が難しかったため、首都圏の常磐線などで余剰となった103系からの改造でしのぐことになった。

この車両は中間車から改造されたため、前面デザインが105系オリジナルのものとなっている(筆者撮影)

最小限の改造とするため、側面は片側4扉のままで、先頭車から改造される車両は元の先頭部を活用。常磐線用の先頭車は最初から非常用貫通扉があったので、これを生かしたデザインとなった。

車体にはこうした違いがあるものの、走行性能は初期グループと同一である。また、中間車から改造される車両は初期グループと同じデザインの前面を新たに付けたため、前後で“顔”が違う編成も存在する。

この改造グループは、現在和歌山地区に残るのみ。そこで、彼らに会うために同地を訪れた。

JR和歌山駅から和歌山線を王寺方面へ少し進んだところに、吹田総合車両所日根野支所新在家派出所(以下「新在家派出所」)がある。和歌山線や紀勢本線などの一般車両の車両基地で、105系もここの所属だ。

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