子どもを伸ばすには"4つの学習空間"が必要だ 「画一的な一斉授業」とはまるで逆

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洞窟といっても囲いを設ける必要はなく、誰でも利用できるようにしさえすればいい。

図書館に行くと、ひっそりと隅に並ぶ机といすが目に入る。その一角は、誰にでも開かれた洞窟の一種だといえる。

自然の中にも洞窟空間は存在する。公園や小道を1人で歩いたり座ったりしながら考えることができるし、海辺や湖のほとりでリラックスして考えをまとめることもできる。

このような空間を、学校や教室に物理的に組み込むべきだ。オーストラリアとメキシコには、洞窟を意識してテントと家具でつくった空間を備える学校が実際にある。洞窟は、想像力次第でどのようにも生みだせる。

洞窟にもデジタル版がある。テクノロジー製品の多くは「個性を意識させること」に狙いを定めているので、それらを使えば自分の新たな一面を知ることができる。タブレット、スマートフォン、スマートウォッチは、単なる携帯機器ではない。プラットフォームでもある。

プラットフォームはデジタルワールドのエコシステムを支え、発展を促すものであり、個人レベルでの発明や開発を可能にするものだ。そうした機器があれば、学生でも無料アプリのスイフトプレイグラウンズやスクラッチジュニアを使ってコードの書き方やアプリの開発の仕方を学んだり、iBooks Authorやアドビ・インデザインを使ってインタラクティブな本を作成したりできる。

このように子どもたちが洞窟として利用できる場は何千とあり、そのほとんどが無料だ。今やほぼタップ、タイプ、スワイプだけで、何かを生みだし、何かを学ぶことができる。

学習の重要な部分を担う「山登り」

山頂

学習空間の最後は、ソーンバーグの提案に私が付け加えた「山頂」だ。これは学習したことを実際に生かす場を表す。

登山で無事に山頂にたどり着くために必要なことは何か? 調査、相談、熟考はもちろん必要だが、登ってみないことには本当にたどり着けるかどうかわからない。しかし、登るには山がないと始まらない。

つまり、学習したことを究極に理解するのに必要となる最後の学習空間が「山そのもの」というわけだ。山に登ることは、学んだことを実際にやってみるという学習なのだ。山登りの真価はフィードバックシステムにある。自ら積極的に行動を起こせば、自動的にフィードバックが瞬時に返ってくる。フィードバックは、ほかの学習空間では得られない、学習の重要な部分を担う。

山登りをテストになぞらえてみよう。山を実際に登ろうとすれば、登り方をちゃんと習得できているかどうかがわかる。山頂にたどり着けば、登り方を無事に習得したということだ。つまりテストは、学んだことを習得できているかどうかを測るものなのだ。

教育の場(テスト)で生徒が間違いを犯すと、叱責やときには罰の対象になるのが普通だが、山登りでは途中で間違うことが奨励される。いや、間違うことが必要なのだ。学習中に間違いを犯したら、貴重なフィードバックやチャンスを得たとみなすべきであり、罰に値するものではない。

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