ジャカルタ地下鉄開業、薄い「日本」の存在感 記念式典で大統領は一言も「支援」に触れず

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ジャカルタにおける都市高速鉄道の必要性は1980年代後半から叫ばれていたものの、1990年代後半のアジア通貨危機の影響もあり、いっこうに具体化されなかった。

アジア向け標準型通勤車両として設計された日本車輌製造製のMRTJ車両(筆者撮影)

2000年にJICAが策定したジャカルタ首都圏総合交通計画フェーズ1は、引き続き都市高速鉄道の必要性について言及しており、そこで示されたルートはファットマワティ―ブンダランHI―コタ間と、現在のMRTJ南北線の姿に近いものだった。

しかしながら、巨額の費用を要する公共事業にインドネシア側は難色を示し、官民連携(PPP)方式での建設を主張した。ようやく2006年、日本の政府開発援助(ODA)による建設に決まり、事業開始前のコンサルティングサービス(基本設計・運営会社設立・入札補助)に関わる円借款契約が締結されたが、着工までの道のりは長かった。

国ではなく州が主導権

とくに、インドネシア政府とジャカルタ特別州政府の費用負担比率についての議論が紛糾した。この負担比率は、MRTJプロジェクトの主導権を国と州政府のどちらが握るかという意味で重要であった。この遅々として進まない議論に、MRTはMasih Rapat Terus(マシ ラパット トゥルス:インドネシア語で「ひたすら会議中」の意)と揶揄されるほどであった。

当時、旧態依然の組織体制で多くの問題を抱えていたKAIとの決別、さらには国営企業省からの政治的干渉を避けるため、州政府がイニシアチブを取ることが画策されていたが、議論の末、約6割を州政府が負担することで決着し、2008年にMRTJ社が設立された。

わが国にとっては、KAIの人材を受け入れなかったことで鉄道会社をゼロからつくり上げることになった反面、日本の技術を国営企業グループの介入なく、そのまま輸出することが可能になったという点は大きい。

MRTJ開業を告げるボタンを押すジョコウィ大統領(中央のグレーの服)、アニス・ジャカルタ特別州知事、石井正文駐インドネシア日本国大使、篠原康弘国土交通審議官ら(筆者撮影)

その後は建設着工への準備が着々と進み、2013年10月の起工式を迎えたが、皮肉にもその場に立ったのは、その後大統領に就任し、わが国によるジャカルタ―バンドン高速鉄道事業を白紙撤回したジョコウィ・ジャカルタ特別州知事(当時)であった。

同氏は州知事の任期満了を待たずして2014年の大統領選に出馬し、その座を手に入れた。そして今年3月のMRTJ南北線開業セレモニーには大統領として参列し、スピーチした。MRTJプロジェクトは、まさにジョコウィに始まり、ジョコウィに終わったという形だ。

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