門司港駅舎を復原、よみがえった「大正」の風格

レトロな外観だが、中に入ると「スタバ」が

ジャイアントオーダーに挟まれた2階建て部分を中央にして、左右シンメトリーに平屋部を配した「土俵入り」のような姿の木造建築は堂々としている。しかし、修理以前は経年の老朽化と雨樋の詰まりから内部に侵入した雨水が構造部材をも腐らせ、シロアリの発生を招いて弱くなった側に傾斜、さらに雨水が流れ込む悪循環にあったという。

国鉄時代は屋根に赤さびが目立ち、財政難から修理もできず存続の危機と言えた。そのとき地域運動により「門司港駅舎を保存する会」が発足し、寄付金を集めて屋根の葺き替え等にこぎ着け、その修復で姿をよみがえらせて重文指定へとつながっている。さらに2006年には腐朽部を鉄骨で補強した。

もっとも100年に及ぶ建物を維持するには抜本的なものではなかった。そこでJR発足25年を機に、100周年事業として復原修理を決定、2012年9月、工事は着手された。

今回の工事の基本方針は大正時代の姿に戻すこと。その基本にのっとり正面性を重視するため車寄せの庇を撤去した。一方、駅の役割や歴史性に鑑みて1918年に取り付けられた大時計と、1931年に増築された上家と倉庫、すなわち正面に向かって右端部分は、そのまま残した。大時計は九州の鉄道初の電気時計であり、鉄道建築としてのシンボル。上家と倉庫は関門連絡船との接続のために造られたもので、まさに当駅の役割を伝える。

復原に必要な図面はどこにあった?

正面の駅名標もなくなった。東京駅の丸の内駅舎の場合も建築自体には駅名は記されておらず、駅頭に鎮座する大きな石に文字が彫られている。そのような形にするつもりもないかと訊くと、「今のところ予定はない」とのこと。

これらは、建物を解体調査する中で次々に時代の違いが明らかにされ、そこからいつ時点の姿とするのが最もふさわしいか、所有者としてのJR九州の意向や文化財として何を伝えるかを議論しつつ、文化庁とともに決めていった。

電気時計は九州初の価値から残され、壁の柱はしっくいでコンクリート風に(撮影:久保田 敦)

時計は当初、確たる設置時期がわからなかったが、地元や国会図書館を手始めに全国の古新聞を手当たり次第に探して突き止め、古写真から文字盤は現在までに少なくとも2回取り替えられていることも判明した。

復原において最重要の図面も九州にはなかった。1916年に大正天皇の行幸があったことを手がかりに宮内庁に照会したところ、同庁公文書館に竣工図面の青焼きが残されていた。すべてが、「藁にもすがる思い」での調査であった。

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