不登校→東大進学した男性が親に感謝するワケ 息子のために引っ越しもした

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幸いなことに、母は子どもとの対話を惜しまず、登園拒否についても肯定してくれました。夫婦間でどのような会話があったかはわかりませんが、父もそれを受けいれたようです。

幼稚園の年度替わりのころ、あれはたぶん三者面談のときだったと思います。主任教諭の先生が母に「今の時代、幼稚園に通うことができないなんて、将来ろくな大人になりませんよ」と叱りつけていたことを覚えています。

その言葉を受けて、母が「けっこうです」と答えてくれたことは、僕にとって非常にありがたいことでした。

面談中は先生の話に真摯に耳を傾けるという体裁を保っていた母ですが、帰り道で僕に向かって「いやな先生だね」と笑って言ってくれたとき、母と小さな悪事を共有したようで、一気に救われた気持ちになりました。

心のどこかには、幼稚園へ行っていないという負い目はあったものの、以来、すんなりと登園拒否ライフへ。

幼稚園に行く・行かないで親子のバトルがなかったぶん、ふり返ると恵まれた環境で自宅生活を送っていました。

小学校での最初のつまずきは勉強のこと 

僕の記憶にはありませんが、写真が残っているので、小学校の入学式には行ったようです。覚えていることといえば、入学したての4月に国語のテストを受けたこと。

そのテストの設問は、「虫食いになった50音表の空欄を埋めなさい」というものだったのですが、幼稚園に行っていない僕はまったく解くことができず、そもそもテストという概念すら知りません。無邪気に隣の子の回答を見てそのまま書き写したら、先生にひどく叱られました。

僕としては叱られたことよりもみんなができることのほうがショックで、かつビックリしました。「え? 何? みんなどうした?」という気分です。

聞くところによると、当時、住んでいた地域は教育に関心の高い保護者が多く、小学校入学前に足し算はもちろん、引き算くらいまでマスターしている同級生がたくさんいたようです。

僕の幼稚園は足し算の勉強をするような方針ではなかったので、あのまま幼稚園に通っていても、おそらく足し算は習っていなかったでしょう。

親もその前提で考えていたので、幼稚園に行かないぶん、家で勉強させようという意識もなく、小学校ではまず最初に勉強でつまずきました。

小学校1年生の記憶としては、担任の先生と三者面談をしたときのこともおぼえています。

僕は教室のすみのほうで遊んでいたのですが、母が先生から厳しい口調で「お母さん、もうちょっとしっかりしてください」と言われているのが聞こえ、子ども心に「これは申し訳ない」と思いました。

大人は子どもに聞こえていないと思うようですが、当時の僕は地獄耳でした(笑)。その後はほとんど学校の記憶はないので、おそらく学校には行っていないと思います。

勉強の遅れを心配した両親が、僕を公文式の教室に通わせるようになったのは、たしか小学校2年生のときでした。

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