日本の天皇をなお「日王」と呼ぶ人々の複雑感情 「陛下」という呼称にも歴史的背景がある

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ちなみに、聖職者に対する尊称もあります。ローマ教皇や正教会の総主教などキリスト教における最高位の聖職者には、「聖下(せいか)」が用いられます。仏教の高位聖職者には、「猊下(げいか)」が用いられます。猊とは「獅子」のことです。仏典では、ブッダを「人中の獅子」としており、ブッダや高徳な人の座るところを獅子座と呼びました。チベット仏教のダライ・ラマ法王にも「猊下」の尊称が使われます。「聖下」と「猊下」には、どちらが格上・格下かの区別はありません。呼び方が異なるというだけのものです。

このように、最高地位者に対し、「下」という文字を使うのは「下にいる侍従を通じて、申し上げる」という意味が一様にあるからです。

朝鮮王が「陛下」ではなく、「殿下」と呼ばれたワケ

皇帝や王などの最高地位者には、「陛下」の敬称が用いられますが、例外がありました。かつての朝鮮王です。

朝鮮王は「陛下(ペハ)」ではなく、一段格下の「殿下(チョナ)」と呼ばれました。朝鮮はそのほとんどの歴史において中国の属国であり、独立した国家ではありませんでした。その王は中国皇帝の配下であり、「陛下」と呼ばれる一国の主権者ではなかったのです。

古代中国には、郡国制という地方制度がありました。これは地方に諸侯王を配し、彼らに地方政治を委任するという制度です。漢王朝の時代に起きた「呉楚七国の乱」という反乱を聞いたことがあると思います。呉や楚などの七国は「国」と称されるものの、「国家」ではなく、漢王朝の一部としての地方に過ぎません。諸侯王は「王」と称されるものの、いわゆる「国王」ではなく、漢王朝の地方知事の役割を背負っていました。

また、中国はこうした主従関係を周辺諸国(地域)にまで拡大し、その君主や首長に王や侯などの爵位を与え(冊封)、藩属国として中国の影響下に置きました。これにより、さまざまな程度の差はありながらも、中国は周辺を従属させます。この中国中心の統治システム・国際秩序を冊封体制と呼びます。

中国には、こうした郡国制や冊封体制のような伝統もあり、「国」や「王」が多用されることがありますが、それは近代で使われる主権国家の国や国王とは意味が異なります。

李氏朝鮮3代目の太宗が明王朝によって朝鮮王に冊封されますが、これも「郡国」的な意味における諸侯王という扱いにすぎません。そのため、朝鮮の王は「陛下」ではなく、「殿下」と呼ばれます。その世継ぎも「太子(テジャ)」ではなく、一段格下の「世子(セジャ)」と呼ばれます。この他、朝鮮王に「万歳(マンセー)」は使われませんでした。「万歳」は中国皇帝にのみ使われるもので、朝鮮王には「千歳(チョンセー)」が使われました。明確な序列関係があったのです。

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