靖国参拝で露呈した、戦略なき安倍外交 なぜ中国の仕掛けた「古いワナ」に、自らはまるのか?

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外交では、そもそも100点をとることは無理だ。マニフェストや選挙公約などで国内向けにいろいろな約束をしたとしても、すべて押し通すことは容易なことではない。米国など他の国も、政治家は選挙時こそ、国民に向かってある国に厳しい態度をとることを表明しても、最終的には完全に実行することまではせず、実をとろうとするものだ。

「日米同盟に楔」の危険性、極めて大きな参拝のコスト

今回、安倍政権が参拝するにあたっては、参拝によって、日本がどんな利益を得られ、一方で何を失うかというコストの議論がなされたはずだが、果たしてどの程度のものだったのか、疑問だ。

実際、参拝のコストは極めて大きいものだ。なぜなら、前述のように、中国の「好戦派」に格好の材料を与えるだけでなく、戦後の日本が築き上げてきた、平和外交などの「戦後史観」をすべて否定してしまうからだ。いくら「不戦の誓い」をしたところで、中国には細かいメッセージは伝わらない。中国にとっては、評価の基準は「行くか」「行かないか」という単純なものだ。

コストは、それだけではない。深刻なのは、この問題で一貫して厳しい態度をとってきた米国の態度を硬化させ、日米同盟にくさびをいれられてしまう危険性が大きくなる。

では一方で「参拝で得られる利益」は何か。実は、ないに等しいのだ。「自らの政治信条や信念を守った」という意味で、安倍首相の利益は大きいかもしれないが、それはただ「言ったことを実行しただけ」であって、国家の利益ではない。

次ページ参拝は、日中間のバランスを「押し戻す」ことにならない
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