進まない野党結集、見えぬ「最後の小沢政局」 笛吹けど踊らず、剛腕にも昔日の面影なし

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しかし、旧民主党が政権奪取した2009年衆院選で初当選し、現在当選4回の玉木氏と、当選17回でほぼ半世紀の議員歴を誇る小沢氏では「議員としての経歴が違い過ぎる」(自由幹部)ことは否定しようがない。「優男」(やさおとこ)の玉木氏と「強面」(こわもて)の小沢氏は容貌の対比も際立つため、国民内部には「ツーショットでの出演では親と息子にみえ、玉木代表が小沢氏に操られている印象が広がるばかり」(若手)との不安も広がる。

もちろん、玉木氏も「国由合併に失敗すれば、代表辞任どころか政治生命が終わる」(国民幹部)とされるだけに「背水の陣で臨んでいる」(同)のは事実だ。ただ、大蔵省(現・財務省)出身のエリートだが、気の弱いお人よし」(同)と評されるだけに、「合併協議の土壇場でみせる逡巡」(国民若手)にパートナーの小沢氏も苛立ちを募らせているとされる。

「もう一度政権交代を見るまで死ねない」

政権交代を実現させることで「選挙の神様」とも呼ばれた小沢氏は、「野党が総結集すれば、絶対に自民党を倒せる」と繰り返す。比例代表での統一名簿についても「反自民で結束して統一名簿で戦えば、獲得議席は必ず自民党を上回る」と力説する。たしかに、2017年秋の衆院選での立憲民主と希望(現在の国民)両党の比例選での得票数を足せば、自民の得票数を数百万上回るのは事実だ。ただ、枝野氏は「分裂して競い合ったことで票が伸びた。政策や理念を置き去りにして一緒に戦えば票が減るだけ」と小沢氏の提案を拒否している。

父・佐重喜氏の急逝で、1969年12月の衆院選に旧岩手2区に出馬、27歳で初当選した小沢氏は、以来、17回連続当選を重ねてきた。1969年当選同期には森喜朗元首相(現・東京五輪組織委員会会長)や羽田孜元首相(故人)がいるが、小沢氏はキングメーカーに徹し、自民党幹事長時代は「ポスト海部」に名乗りを上げた宮澤喜一(元首相・故人)、渡辺美智雄(元外相・同)、三塚博(元蔵相・同)らを「面接」するなど、「党最高実力者」として権勢をふるった。

今年12月で衆院議員満50年となる小沢氏だが、在職50年を超えるのは「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄元司法相、三木武夫元首相、原健三郎元衆院議長(いずれも故人)らに続く6人目となる。5月には喜寿(77歳)を迎える政界最長老だが、今でも「もう一度政権交代を見るまで死ねない」と3度目の政権交代実現に執念を燃やす。このため、次期衆院選以降も現役を続ける決意もにじませるが、玉木、枝野両氏も含め立憲、国民両党幹部の多くは「小沢氏のすごさや怖さを知らない次世代の政治家」(首相経験者)だ。中堅・若手議員からは、40年以上前の流行歌の「昔の名前で出ています」などと揶揄されている小沢氏だが、「最後の戦い」にどう挑み、どのような結末を迎えるか、なお見通せない。

泉 宏 政治ジャーナリスト

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いずみ ひろし / Hiroshi Izumi

1947年生まれ。時事通信社政治部記者として田中角栄首相の総理番で取材活動を始めて以来40年以上、永田町・霞が関で政治を見続けている。時事通信社政治部長、同社取締役編集担当を経て2009年から現職。幼少時から都心部に住み、半世紀以上も国会周辺を徘徊してきた。「生涯一記者」がモットー。

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