日本各地を「急行」が走っていたあの頃の記憶

40年前は179本、合理化進み平成時代に消滅

中央本線を走った急行「アルプス」(筆者撮影)

今ではJR線上から姿を消した「急行列車」。だが約40年前、1977(昭和52)年初版の拙著『特急・急行大百科』(「ケイブンシャの大百科」シリーズ)では、筆者は当時の国鉄の急行列車をすべて現地写真取材し、その数は179列車に及んだ。

当時は急行列車の全盛期だったが、それにしても急行がそれほどあったとは改めて驚きだ。しかし、その後急行は相次いで姿を消し、今やJRの定期列車としては1本も存在しない。すっかり淘汰されてしまった急行列車の数々を思い起こしながら、その系譜を振り返ってみたい。

長距離を走った客車急行

長距離を走る急行列車の多くは客車を機関車が牽引する列車だった。昭和30年代、東海道・山陽本線を走破して東京と九州を結んだ長距離急行「高千穂」「雲仙」などは、東京からの電化区間はEF58形などの電気機関車が牽引し、まだ電化されていなかった岡山以西や九州内はC59形蒸気機関車などが先頭に立った。東北方面も、常磐線の電化以前は急行列車がC62形蒸気機関車に牽引されて上野まで乗り入れていた。

C62形蒸気機関車が牽引する急行「ニセコ」(筆者撮影)

北海道では、札幌―函館間を結んだ「ニセコ」が函館本線の山線といわれる小樽―長万部間をC62形の重連で峠越えし、ファンの人気を集めた。札幌―網走間の「大雪」も、普通列車として運行する北見―網走間(「大雪くずれ」と呼ばれた)をC58形蒸気機関車が牽いて走った。九州に目を移すと、京都と西鹿児島を結ぶ「日南3号」が1973年10月から翌1974年4月までの短期間、C57形蒸気機関車が宮崎―都城間で先頭に立ち、蒸気機関車の終焉の時期とあってSLファンを喜ばせた。

筆者が思い出に残っている客車急行は、上野―青森間の「津軽」「八甲田」である。この列車は、東北本線の黒磯と上野の間はEF58形・EF57形電気機関車が牽引した。特に1940年製のEF57形は前面にデッキが突き出たいかつい外観の機関車で、鉄道ファンの注目の的だった。

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