日本各地を「急行」が走っていたあの頃の記憶 40年前は179本、合理化進み平成時代に消滅

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主要幹線の直流電化が終了すると地方の幹線は交流電化が進み、これらの路線には交流・直流の両方に対応した451系・471系、455系・475系などの急行型電車が投入された。

堂々12両編成で北陸本線を駆ける急行「兼六」(筆者撮影)

北陸本線では1963年に「ゆのくに」が急行格上げとともに電車化、1965年には「立山」が客車から電車に変わり、翌1966年には名古屋―金沢間で「兼六」が運転開始した。北陸線で運転された急行電車の多くは、9両の基本編成に付属編成3両を加えた堂々たる12両編成で、半ビュッフェ車のサハシ451形と1等(グリーン)車2両を連ね、北陸の看板列車だった。

これらの急行は、1974年の湖西線開業以降は次々と特急に編入され「立山」「ゆのくに」などは特急「雷鳥」に、「兼六」「くずりゅう」は特急「しらさぎ」に格上げされて事実上の「値上げ」となり、一時期は急行列車王国といえた北陸本線から急行が相次いで姿を消した。

交流・直流両用の急行型電車は、交流電化の進展により東北方面や九州内の急行でも活躍した。東北本線には「まつしま」「ざおう」「ばんだい」「いわて」、常磐線には「ときわ」などが運転されたが、1982年の東北新幹線開業により、急行全盛時代の幕は閉じられた。

九州内では「ゆのか」「ぎんなん」「かいもん」「日南」などがあったが、これらも特急への格上げなどで次々に廃止された。特に博多―熊本間で1日9往復の運転本数を誇っていた「ぎんなん」は、L特急「有明」に完全に吸収され、実質的な値上げとなった。

平成で幕を閉じた「急行」の歴史

電車による急行が最後まで走り続けたのは、かつて急行列車王国だった北陸だった。

電車急行として最後まで残った急行「きたぐに」(筆者撮影)

上野―金沢間の「能登」が2010年3月に定期列車から臨時列車となって事実上消滅し、その後も残った新潟―大阪間の「きたぐに」も2013年に廃止された。どちらの列車も、末期は特急型車両の格下げ運用であった。

かつて日本の鉄路を支え、40年前には約180の列車が全国を駆け抜けていた急行は、旧国鉄末期に進んだ増収目的の特急への格上げや、新幹線の開業による在来線合理化などで相次いで姿を消した。そして、明治期から続いてきたその歴史は平成の時代に途絶え、今や「急行」の名称は私鉄の通勤電車などに残るだけとなってしまった。

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