旧博物館動物園駅、「変えない」修復のこだわり 東京藝大・日比野克彦氏と京成電鉄がタッグ
そんな時、声をかけてきたのは、京成電鉄だった。2020年の東京オリンピックに向けて京成上野駅をリニューアルする際のアートディレクションを日比野氏に頼んだのだ。
旧博物館動物園駅も京成電鉄の駅である。なんという幸運。日比野氏は、「旧博物館動物園駅を開けてほしい」と逆提案した。 それから2年後、本当に旧博物館動物園駅の扉が開いた。
21年間、扉の奥で眠っていた旧博物館動物園駅に日比野氏は再び足を踏み入れた。南京錠を開けて立ち入ったホームは昔のままだった。蓋をされたタイムカプセルのように空間の時は止まっている。でも電車は通り過ぎる。「現在と、止まったままの昔が交差して、まるで映画のようだ」――。
何よりも強く思ったのは「幸運だ」。ただ駅の扉を閉めて、そこを密封した空間にしてしまったら、もっと荒廃していただろう。でも電車が通ることで、風通しがよくなったおかげで廃墟にはならず、ちょうどよくエイジングされた空間として残された。
「天井、切符売り場、階段、落書きされた壁、これは自然にできた本物のノスタルジーだと思った。だからこそ、このままの状態でとっておきたい」
これが日比野氏から、京成電鉄に出された建物の修復についての願いだった。
「この駅には鉄の扉が似合う」--
日比野氏の願いを受け取ったのは京成電鉄の建築担当・久保田氏である。入社7年目の彼女は大学・大学院と建築を学んでいたそうだが、専門は博物館や美術館。科学館でアルバイトをしていたこともある。まさに、旧博物館動物園駅の修復をするために入社したような人である。
とはいえ、久保田氏も当初は旧博物館動物園駅の修復をするために東京藝術大学に行ったわけではなかった。もともとは京成上野駅のリニューアル担当として行ったのだ。つまり「お願いしに行ったら、逆にお願いされて」、旧博物館動物園駅の修復を手がけることになったわけだ。
久保田氏自身、古い駅舎の修復を手がけるのは初めてだった。最初は普通の駅舎の常識に従い、修復に臨んでいた。たとえば、駅舎の扉はほとんどがシャッターか蛇腹だ。久保田氏も扉といえばシャッターだろうと、どこか今までと同じように考えていた。しかし図面を目の前にした上司の鉄道担当役員が言った。「博物館動物園駅はシャッターよりも鉄の扉が似合うんじゃないか」
無料会員登録はこちら
ログインはこちら