旧博物館動物園駅、「変えない」修復のこだわり 東京藝大・日比野克彦氏と京成電鉄がタッグ
前回の記事(まぼろしの「博物館動物園駅舎」復活の舞台裏)では、旧博物館動物園駅が21年の廃駅を経て、どのような経緯で再び扉を開けたのか、その裏話を関係者に取材した。 今回は、1933年に代々引き継がれてきた世伝御料地にオープンしたその壮麗な姿、そして歴史を感じさせる佇まいを、いかに壊さぬよう修復をしたのか、まさに芸術ともいえる改修工事について、東京藝術大学の日比野克彦美術学部長と、京成電鉄の鉄道本部施設部工務課・久保田真矢氏に話を聞いた。
駅舎が解体されると記憶も消えてしまう
まずは東京藝術大学出身であり、博物館動物園駅を文字通り身近に感じていたであろう日比野氏に1980年頃の学生時代の印象を聞いてみた。
「友人が京成線沿線に住んでいたので、よく使っている身近な駅でした」と、さらりと言ったあと「でもね」と続けた。「身近だったけれど、博物館動物園駅にはあの駅にしかない魅力があった。普通の駅とはまったく違う異様な迫力を感じていた」
その後、藝大勤務となり、駅の扉が閉まっているのは通勤途中にいつも見ていた。 「あんなに立派な扉だからいつか開くのだろう。まさか、このまま閉まっているはずはないだろう」と、うっすら考えていたという。
日比野氏は言う。なじみ深い古い建物があっても、工事の囲いがされ、壊されて、次に新しい建物が建つと、記憶は上書きされて消えてしまう。心のどこかには残っているのだけど、その記憶を引っ張ってくる建物というインデックスが消去され、思い出せなくなる。だから、博物館動物園駅はなくなってほしくない。
「藝大に通う人は博物館動物園駅舎の跡地を毎日見ている。僕は使っていたこともあるから、あの扉を開けると階段があって、降りていくと下に改札とホームがあって、電車が通っていることを知っている。でも今の藝大生たちは、駅舎を見ても東京国立博物館の別館だろうか、あるいはどこかの東屋なのだろうかと、なんとなく思うだけで、そこが駅だとは知らない」
日比野氏はそれを、とても「もったいない」と考えていた。
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