「スーパーカブC125」、妥協なき造り込みの裏側 求めたのはカブとしての「伝統」と「進化」

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――シートも、カブでこんないいシートなんだ!っと感じました。

堅すぎず柔らかすぎずを意識しました。先程、心の余裕という話がありましたが、最初に余裕をどこで感じてもらうのか、それは触れているところのわけです。それがハンドルなのかペダルなのか、シートなのかということでした。しかし、上質感のあるシートというと定義が難しい。生産スタッフにも伝えにくいので「高級なソファを想像してほしい」と伝えました。

これまでのカブのシートから表面も中のウレタンも全部変更しています。シートが違うかどうかというのは足つきが違うかどうかに影響する非常に支える部分。1人乗りでの使用を考え、どんな素材や質感が良いか絞り込んでいきました。コシがあるスポンジはどれか、表皮の張り方はどうすれば良いか、余裕を感じてもらうためにもキモになる1つであり、個人差が出てくる部分でもあり難しいところでした。

C100という原点をリスペクトするという意味では、同じようなシートにして、経年劣化をしてほしくないという思いもありました。この赤い素材は色味や耐光性からみれば、ほかのシート素材よりも劣る部分があります。これはこぼれ話になりますが、60年前のC100のシートの端材が今回シートをつくってもらっている関連会社に残されていたんです。その赤は想像以上に鮮やかなビビッドでした。当時のビビッド感を彷彿とさせるようないまのデザインに決定したという経緯もあります。

C125に乗ってわかった課題も聞いてみた

――ここまでいい話を聞いているとカブって本当に良いマシンだなと思います。40万円という値段は高いと思っていましたが、通常のカブ+10万円という価格設定は高くないような気もしてきました。だからこそ、C125がABS(アンチロック・ブレーキ・システム)をつけなかったのはなぜかと疑問が残りました。

それには2つ理由があって、1つはデザインの問題です。カブの親しみやすさはどこにあるんだろうというのを考えると、それは見た目からくるものです。ABSそのものをつけてしまうと想像以上にカブらしさが失われてしまいます。

フロントディスクブレーキをいれても見た目はシンプルなままですが、リアはディスクブレーキにしなかったのも同じ理由で、ブレーキそのものの印象が大きすぎた、完全に見た目ですね。

もう1つはABSにしなくても十分な制動力を持たせたということです。それが今回見送った理由になります。ただ、欧州ではABSの搭載が義務付けられている法制度があるので欧州ではつけて販売しています。国内でもその義務化の動きもあるので、そうなったら搭載する予定ですね。

――値段の部分というのもあったのでしょうか? 39万9600円(税込み)でABSをつけたら43万円といった価格になりますよね。

これは本田宗一郎さんの教えでもあって値段については「手の内に入る物であるべき」という考えがあります。この言葉に含まれた意味をこれまでの歴代開発者は自分なりに意味をくみ取ってきて、カブの60年間の歴史があります。それはこれから先も変わらないでしょう。


***

61年目の進化を遂げたスーパーカブは、よりパーソナルユースを見据えた製品として我々の目の前に登場した。この古くて新しいバイクには、ホンダが世界のホンダと言われるゆえんが満載である。扱いやすく丈夫で長持ち、燃費が良くて良く走る。そして美しいタイムレスデザイン。世界中で望まれる理由はまさにそこではないか。完成された物をさらに高める事への挑戦を開発者からうかがった。

決していたずらに触るのではなく、本田宗一郎氏の意思をしっかりと継承し、これからも世界中で愛される製品作り。このスーパーカブにこそホンダの原点があった。

宮城 光 モータージャーナリスト

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みやぎ ひかる / Hikaru Miyagi

1962年生まれ。1982年鈴鹿サンデーオートバイレースに於いてデビュー3位。直後にモリワキレーシングと契約、1983年鈴鹿4耐で優勝、同年全日本F3クラスとGP250クラスに於いてチャンピオン獲得。1984年全日本F3クラス、F1クラスチャンピオン獲得。1988年HondaのHRCと国内最高峰GP500ccライダーとして契約。1993年より活動の場をアメリカに移し、全米選手権でチャンピオンになるなど、日本だけでなく海外でも活躍。1998年からは国内4輪レースでもその才能を発揮し、翌年の「4輪スーパー耐久シリーズ」ではチャンピオンを獲得する。また、世界耐久選手権シリーズ・鈴鹿8時間耐久ロードレースでは2003年より5年間ホンダドリームレーシングの監督を務めた経験ももつ。2016年には米国ボンネヴィルにおいて4輪車の世界最高速度記録を達成、世界記録保持者。開発車両ではTeam無限のマン島TT参戦車両・2輪電動マシン「神電」の初期からの開発ライダーを担当し2018年時点で5連勝中、2019年もチャレンジする。一方では、警視庁及び企業向け交通安全講話やライディング&ドライビング講師、専門学校講師などのほかに、 日本テレビのMotoGP解説者や雑誌などのメディアでレースやバイクの解説を務めるなど、多方面で活躍中。ホンダ・コレクションホールではホンダ歴代の2輪4輪グランプリマシンの維持管理テストレーサーを務める。無類のラジコン好き。

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