「高円寺」で再開発がなかなか進まない背景

カルチャーの街はどのようにして生まれたか

地域の祭りとして阿波踊りが広まり始めた頃に「フォーク・ロック文化」がやってきた。フォーク・ロック文化は阿波踊りと直接関係はなく、まったく別の流れとして高円寺で花開く。フォークは全国的にもブームとなっていたが、吉田拓郎氏や南こうせつ氏が高円寺近辺に移り住み、特に吉田氏が作った楽曲「高円寺」によって、高円寺は音楽を志す者にとって有名な街になった。

また、1968年にオープンした喫茶店「ムーヴィン」(1975年頃閉店)の存在も欠かせないだろう。山下達郎がデビューするきっかけの1つとなった店だ。当時は珍しいロックをかける喫茶店で、いち早く入荷した新譜を聴けることで知られていたという。こうしてフォーク・ロック文化の地として「高円寺」は有名となり、1970年代後半から1980年代にかけてはバンドブームもあってライブハウスやスタジオも生まれた。

音楽ブームの後に古着屋

そんな1970~1980年代の音楽ブームの後に高円寺にやってきたのは古着屋だった。古着屋は、駅の南側に集中して立地するという特性がある。南側の歓楽街に交じり合う古着屋の存在は先に述べたが、これには地域にあったスナックなどが影響している。

高円寺駅の南側にはスナックと古着屋が入り交じるエリアが広がる(筆者撮影)

高円寺では中央線の高架化と前後して1960年代前半に飲食店が急増、大型のキャバレーもできて歓楽街化が進んだ。

その後バブル景気により風俗店は増加するも、景気後退に合わせて減少。そして、元々小さなスナックだった空き店舗に、古着屋がテナントとして入った。

その理由としては店舗内部のレイアウトの自由度が高かったことや、賃料の安さが大きかった。こうした事情もあって、1995年頃には古着屋が急増した。2000年代の一時期には200店舗を数えたという。現在は半数あるいはそれ以下にまで数を減らしているが、街での存在感はとても大きい。

それぞれ異なった背景事情から生まれた高円寺でのフォーク・ロック文化、古着屋の集積。こうしたものは街の混沌さとは切っても切れない関係にある。しかし、それを脱して現代的な街にしようという動きも地域内にはあった。

そこで生じたのが再開発問題である。戦災復興計画によって計画された事業は1970年頃まで区画整理と道路整備という形で行われた。しかし反対運動もあったため、先述の通り、南口が中心に行われた。

北口の区画整理計画は1982年に東京都から市街地再開発の提案で「復活」する。これに対して住民の一部が猛反発、約15年にもわたり反対運動が行われた。結果として1998年には再開発計画は凍結された。

しかし、今もなお道路建設計画が地区内に残っている。この道路建設計画は杉並区高円寺南2丁目から練馬区中村北1丁目の4.5kmを結ぶ都市計画道路「補助227号線」の一部区間のものだ。2016年3月に公表された「東京における都市計画道路の整備方針(第4次事業化計画)」で杉並区が施行する「優先整備路線」として浮上した。

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