ヒロミ「40歳で小休止した僕が見つけた境地」 120%でなく、80%の自分を受け入れるまで

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「こいつら働かないな」「本気、出してないだけかな?」「え、休みが欲しいの? 週に2日も休んで、どうするの?」「働いたら、お金になるし、次にもつながるのに?」と不思議に思っていた。

でも、徐々にわかってきた。これが普通で、自分のモノサシがずれていたんだってことに。120%、200%を出し切る働き方はいつまでも続かない。自分は遊びも本気で取り組んでバランスを取っていたけど、それでも長い小休止に入ることになった。

なんでって? 自分でも気づかないうちに疲弊して、すり切れていたのだと思う。10年の小休止。ジムの経営を通じて、よくわかった。100%は出さなくていい。通常運行はマックス80%で。経営者やリーダーは、スタッフがそこまでの力を出してくれるように関わっていけばいい。

人生は長距離走で考える

自分自身も小休止を経て80%を心がけるようにしてみたら、うまくいくようになった。それはたぶん、扱いやすいヒロミになったからだと思う。

今、僕がテレビに出ているとき、イメージしているのは、小さな歯車だ。昔の自分も歯車の1つだったわけだけど、当時は目立つ大きな歯車だった。そして、本人は取り替えのきかない歯車だと思っていたけど、大きくて目立つ分、交換も簡単だった。

今度は機械の奥のほうにある、小さな、でも取り替えのきかない歯車になりたい。小休止前のように、「有名になりたい」「もう一花咲かせたい」「テレビの世界で活躍したい」、そういう「自分のためにがんばりたい」という気持ちはなくなっている。呼んでくれて、使ってくれるのなら、その場に出て役に立ちたい。後輩たちの後押しをしたい。謙虚すぎて嫌味っぽく取る人もいるかもしれないけど、そんなふうに思っている。

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日本人の気質なのか、武士道的な考え方なのか。今の世の中には、負けを認めることを潔しとしないところがある。休みたいと言い出すことに引け目を感じさせる圧のようなものもある。

でも、考えてみてみれば、夏の甲子園も冬の選手権も優勝できるのは1校だけ。残りはみんな負ける。ドラフト1位でプロに入る選手も、ほぼ全員が負けと挫折を経験し、1回区切りをつけて立ち上がってきた人ばっかりだ。

負けること、挫折することはそんなに悪くない。人生が終わるわけでも、全財産を失うわけでもない。負けても、挫折しても、たかが知れている。人生は長距離走で考える。休んで、遊んで、考えて、次の何かを準備していったらいいと思う。

ヒロミ タレント

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ひろみ / Hiromi

1965年、東京都八王子市生まれ。1986年、B-21 SPECIALを結成。若者に絶大な人気を誇り、1990年にゴールデン・アロー賞芸能新人賞を受賞。1993年に歌手・タレントの松本伊代と結婚。日本を代表するMCとして活躍するも、40歳を前に出演番組が激減していく。約10年テレビの世界を離れていたが、50歳を前に再ブレイク。

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