振り向けば独走、駅前一等地に大増殖中のラーメンチェーン「ハイデイ日高」

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駅前立地が生んだ追随許さぬニッチ業態

外食が産業として確立されていなかった当時としては大言壮語だが、神田なりに成算はあった。ロードサイドに出なかったのは資金不足だけが理由ではない。「駅前で見ていると、サラリーマンが家から弁当を持ってこなくなっている。この人たちは昼に店に来ると思った」。

もちろん彼らは夜も来る。勤め帰りに駅前で安い料理をつまみに軽く飲んで帰る。深夜も営業しているので「屋台のお兄さんたちから、よく『営業妨害だ』と怒られた」と言う。

現在のハイデイを特徴づけるもう一つの強みが、この「アルコール比率の高い非居酒屋業態」。この頃すでに神田は、別の角度から、その強みをかぎ取っていたわけだ。

駅前の一等地だから家賃は高い。坪5万円、40坪として家賃は月200万円。フツーに中華そばを売っていては赤字だが、クルマ要らずの立地のため、高粗利のアルコール売り上げが全体の14%に及ぶ。「高いアルコール比率が高家賃をのみ込んでくれる」。しかも、夜が深まるほどその比率は高まり、長時間営業との相乗効果が現れる。

だがこの業態、マネるのが意外に難しい。居酒屋系は、そもそもサッと飲んで食べたい人向けではない。さらにメニューが多いため、すべてをアルバイトで賄えない。つまり安くできない。一方、駅前立地で競合するマック、吉野家は食事主体だから酒と相性がよくない。業態的には居酒屋とファストフードの間に位置し、結果的に、ハイデイが露店規制で減り行く屋台の受け皿になった。唯一ライバルと目する「餃子の王将」が、必要面積の関係で駅前競合しないのは、この際ありがたい。

“こだわりの味”を追わない点も特徴だ。「食べた人の6割がおいしいと思えばいい」と神田は割り切る。すごくおいしい、は特殊な味になりがちで、多くの人に繰り返し食べに来てもらう味ではない。

そして安さにこだわる。まだ5店舗のときに麺とギョーザの専用工場を造り、原価低減に取り組んだ。任された町田が語る。「現場は数人で1日小麦粉4袋使っておしまい」。350袋使う今も、工場で作れるものは全部作り、店舗作業を減らして人件費を抑える姿勢は変わらない。

ブームの三国志に例えるなら、三兄弟が結束した「桃園の誓い」だが、その後店は着々と増え、93年に都内1号店を赤羽に開店。翌94年にラーメン専門店「ラーメン館」を立ち上げた。日本中のご当地ラーメンを味わえるという趣向で大ヒット、歌舞伎町店には行列ができ、「スープが間に合わないほどだった」と営業・商品担当の高橋が振り返る。

このラーメン館を中核業態に99年9月、株式を公開。企業化の提案から24年が過ぎていた。だが2年後、デフレの波に洗われ、「夜も眠れない」日々が訪れる。当時、ラーメン館の最安メニューは480円。低価格を追求していたはずが、気がつけば他業態に負けていた。

ここで神田は、390円ラーメンを前面に出した新業態「日高屋」で勝負に出た。ラーメン館と中華料理屋・来来軒の間を取り、麺以外のメニューも充実させアルコール需要も狙う。屋台路線への復帰だ。1年でラーメン館等からの転換33店を含め日高屋46店を出店、04年2月期はその効果でV字回復を果たした。

危機を乗り越えてからは一本道。05年、その気になっても成功率は1ケタと言われるジャスダックからの2部上場を果たし、翌年には1部に上がった。いずれも公募を行い、財務体質を改善するという律儀さだ。

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