ウィーンで思い出す、ピアノ教室の苦い思い出
さて、いよいよ我々も音楽の都・ウィーンに到着した。ベートーベンにヘンデル、モーツァルトといえばウィーンなわけだが、ここではモーツァルトが結婚式とお葬式を挙げた教会や、ベートーベンが練習をしていた広場などが目にできる。
プラハからもブダペストからも列車で4時間そこらで着いたと思うので、日帰りででも足をのばしていただきたい。実は私は音楽に造詣が深く、3歳くらいのころからヤマハのピアノ教室に通わされ、姉妹兄弟4人全員がピアノを習わされる、という結構な教育を受けたのだが、残念ながらブルクミュラーはおろか、基本のピアノのテクニックやバイエルでも苦戦し、学芸会でライオン行進曲を伴奏したのが我が音楽キャリアの寂しいピークとなってしまった。
幼少期に、我が母・パンプキンにつかれた嘘
我が母パンプキンは嫌がる私に強制するべく、「ピアノに行くのは法律で義務付けられている」とホラをふいた過去があり、幼少期の私はそれを信じて泣く泣くピアノ教室に通っていたのだ。
ある日学校で友人がピアノを習ってないことが判明し正義感に燃える私が法律違反として告発しようとしたところ、母が私に 「その法律は廃止された」と聞き、すぐにピアノ教室を辞めたのであった。
ただ私が今でも弾けるのは、小学校の学芸会で伴奏を担当した“はばたけ鳥よ”とライオン行進曲、そして私が大好きなショパンの別れの曲だ。
そろそろこの長かった旅行コラムにも、別れの曲が聴こえてきたようである。次回、皆様をロンドンや北欧にお連れして、そろそろ千秋楽を迎えることとしたい。
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