引退した岩政大樹の「オンリーワン」な生き方 タイ挑戦や下部移籍、異端のキャリアを構築

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確かに岩政大樹という男の生きざまには確固たる信念が感じられる。たとえば、鹿島からタイへ移籍した時も「まだまだJ1のトップレベルでやれるのに、なぜレベルの下がるタイへ行くのか」という見方が根強かった。

けれども、本人は「代表で『世界のトップに挑んでいくのが当たり前だ』という感覚でやっている本田や長友(佑都=トルコ・ガラタサライ)らから刺激を受けて、海外へ出ようと考えた」と率直な思いを明かす。

鹿島を出てからの挑戦を振り返る岩政(撮影:今 祥雄)

「当時、鹿島では僕がチームを引っ張る役目をやっていて、それはそれで素晴らしい経験だったけど、代表の年下世代のスタンダードを見るたび『ああ、このままじゃ俺ダメだな』と。『俺もどこかでそれを見に行かないといけない』という気持ちが高まったんです。代表で彼らに会うまでは海外移籍なんか考えもしなかった。そこは大きかったです。

鹿島最後の半年間は試合に出られず、忸怩たる思いを抱えていたのも事実。昌子(源=J1・鹿島)や植田(直通=ベルギー・シントトロイデン)に引き継いだみたいに見せてますけど、やっぱりプロとして思うところはありました。もちろんベテランとしてどういう振る舞いをすべきかを考え、実行していたけど、自分との戦いの日々だった。それも外に出る決断を後押しした部分ではありますね」

1年間、岩政がタイで学んだこと

2014年に赴いたBECテロ・サーサナでは「タイのメッシ」の異名を取り、2018年Jリーグベストイレブンにも選ばれたチャナティップ(J1・コンサドーレ札幌)らとともにプレーし、タイの若手の技術レベルの高さを目の当たりにすると同時に、戦術的な基本を学んでいないことにも気づかされた。それを伝え、守備組織構築に貢献したことで、リーグカップ制覇という1つの成果を得た。

翌2015年から2年を戦った岡山では「J1に上がったことのないクラブをJ1昇格させる」という目標を設定。2016年にはJ1昇格プレーオフ決勝まで進んだ。最終的にはセレッソ大阪に苦杯をなめ、夢破れることになったが、東京大学、ゴールドマン・サックス出身の敏腕経営者・木村正明社長(当時)のクラブ運営に触れることができたのは大きな収穫だ。

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