あの「ビースティ・ボーイズ」が出した回想録 MCAの死から6年、2人は何をしているのか

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不敬、狡猾さ、控えめなクールさからキャリアを築いたビースティ・ボーイズには、必ずしも派手なイメージはない。彼らはポップカルチャーにおいてラップが支配的な勢力ではなく一時の流行のようなものだった時代に、ハードコアからヒップホップに転換した。

幼稚で冒涜的だった彼らは、1990年代までには主張とイノベーションを備えたミュージシャンとなる。ヤウクは仏教徒で、フェミ二ストとしても積極的に発言した。監督にスパイク・ジョーンズを迎えた1994年の「サボタージュ」のミュージックビデオはジャンルの転換を促した。

彼らのレガシーをまとめた本書は、一般的なロックスターの自伝とは異なる。ベビーブーム世代のスターたちのベストセラーよりも面白く、謙虚だ。私たち3人は本のこと、そしてさまざまなことについて語った。

誰かがバンドについて本を書くという話はあった

――この本はどうやって生まれた?

マイケル・ダイヤモンド:僕たちにブロードウェイのミュージカルに挑戦させるよりはましだろう。

アダム・ホロヴィッツ:おっと。

(写真:Brad Ogbonna/The New York Times)

ダイヤモンド:僕らが子どものころ、ヤウクはザ・フーのドキュメンタリー映画『キッズ・アー・オールライト』が好きだった。取りつかれたように熱中していた。アルバム『ホット・ソース・コミッティ』の制作中かそれより少し前だったか、彼は記録をまとめてドキュメンタリーを作ることに興味を抱いていた。その後、誰かがバンドについての本を書くという話があって、だったら自分たちでやるべきだと思ったんだ。でもヤウクが亡くなり、僕らは悲しみに暮れ、それに手をつけられるような状況じゃなかったんだ。

その後、再びプロジェクトに取り組み、さまざまな表現を経た。バンドの周辺の人々や友人、さまざまな形でバンドに関わる人々にストーリーを語ってもらうというアイデアからスタートした。

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