あの「ビースティ・ボーイズ」が出した回想録 MCAの死から6年、2人は何をしているのか
――こういうものにはしたくないと思っていたものは何?
ダイヤモンド:よくあるロックの自叙伝のようには絶対したくなかった。「ある日バスに乗り込んだら、ギターを弾いている少年がいて、その少年こそがジョン・レノンだった」みたいな。
ホロヴィッツ:それもよかったかもしれないけどね。ビースティ・ボーイズの物語の中なら。でもいろんなものを寄せ集めて、写真を少しずつ挟むような自伝にはしたくなかった。
自分たちが全然覚えていないことに驚いた
――2人の記憶が違っていた部分もあった?
ホロヴィッツ:いや、それよりも、どっちかが覚えてる?みたいな感じ。
ダイヤモンド:自分たちが全然覚えていないことに驚いたよ。
――長い時がたっている。
ダイヤモンド:特に、大人になる前のクレイジーな時を過ごすことが重要に思えていたからね。成長する時期だったし、ニューヨークにいた。
――その時のこと、あなたが聴いていた音楽を今どう振り返り、またそれができると思ったのはなぜ?
ホロヴィッツ:僕たちは15歳くらいで、バンドを見に行くと、ハードコアのパンクバンドのようなものばかりだった。僕はギターを持っていて、コードも少し知っていて、ラモーンズの曲が弾けると気づいた。そうしたら、ラモーンズの曲はみんなこんなもの?って感じで、演奏できたんだ。僕たちができそうな唯一の音楽がハードコアだった。パンクですらお上品に思えた。
ダイヤモンド:入り口はそこだね。それより前はビッグなロックバンドがステージにいて、そこには届かなかった。でもA7のようなクラブはこのホテルの客室ぐらいの大きさで、まさにこのソファと同じようなものがステージの端にあった。観客とバンドの間の境界はなくて、観客の多くはバンドをやっていた。