ジムニーになれなかったパジェロミニの悲哀 あの本格4WD軽自動車が現存していたら
1980年代末から1990年代初頭にかけて国内ではバブル経済が咲き誇り、自動車メーカーから数知れない高級、高性能車が誕生し、何でもアリという空気が充満していた。そうした時期に、パジェロミニが生まれ、翌年には登録車のパジェロジュニア(後継はパジェロイオ)も登場している。
パジェロミニ発売の翌1995年には年間10万台以上が生産され、好調な滑り出しであった。初代のモデル末期でも5万台弱の生産台数であり、当然のように2代目へ受け継がれた。その折には軽自動車規格の変更もあり、車体寸法が衝突安全性向上のため大型化している。
しかし、販売動向は下降線ぎみとなりだし、2000年ごろを境に半減しはじめた。背景にあったのは、社員による内部告発に端を発した乗用車とトラック・バスのリコール隠しであったといえる。これにより、それまで国内第4位の自動車メーカーであったが、三菱車を買う意味を消費者に失わせたといえるだろう。2012年にパジェロミニは製造を中止し、以後、2017年まで在庫販売が続けられた。
小柄でありながら本格的4輪駆動車「ジムニー」
この間、スズキ・ジムニーもつねに順風満帆の販売を行ってきたわけではない。やはりバブル期の1990年前後に売れ行きを大きく伸ばしたが、1998年以降は徐々に台数を減らし、低位安定の時代に入る。しかし、それを支えたのは海外販売であったとみることができる。国内での販売台数に比べ海外ではその2倍、あるいはそれ以上の販売台数を保持し続けたのであった。
米国の「ジープ(Jeep)」を筆頭に、イギリスの「ランドローバー」、ドイツの「ゲレンデヴァーゲン」(メルセデス・ベンツGクラス)、そしてトヨタ「ランドクルーザー」や日産自動車「サファリ」といった4輪駆動車はあるが、ジムニーほど小柄でありながら本格的4輪駆動車として悪路走破性を実現するクルマの数は多くない。そこに需要はあった。
スズキ・ジムニーは、1970年に初代が発売されている。きっかけとなったのは、鈴木修会長(当時常務)が、「もっと軽の特徴が活かされるユニークなクルマはできないか」の一言であった。
当時、国内では排ガス規制が動き出し、排ガス中の有害物質をそれまでの1/10に削減することが求められた。そのことで各自動車メーカーは必至であり、トヨタと日産は研究開発を集中させるためレース活動を中止したほどであった。そして世界で最初の排ガス規制達成として、1973年に「シビックCVCC」がホンダから発売される。
これに対しスズキは、国内有数の2ストロークエンジンメーカーとして排ガス対策に苦戦していた。それでも1977年に2ストロークで昭和53年度排ガス規制を達成するが、いずれ4ストロークへ移行せざるをえない状況になっていった。ジムニーも、4ストロークエンジン化されていくことになるが、そうした時代の流れの中で、ジムニーは本格的4輪駆動車として生まれたのである。
それらの実績を踏まえつつ1978年に鈴木修社長が誕生する。以来、永年にわたりスズキの経営に大きな影響を及ぼしてきた。ジムニーのほかにも、「フロンテクーペ」(1971年)、「アルト」(1979年)といった独創的な商品がスズキから次々に誕生した。
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