貧困を救う手立てがあまりに弱い日本の現実 結局、階層間の景色が共有できていない
住宅手当、児童手当が少なすぎる
阿部 彩(以下、阿部):貧困問題を伝えるコンテンツの中で、圧倒的に議論が足りないのは具体的な政策についてだと思うんですよ。
最初は「貧困があります、こんなに大変な人がいます、これっておかしいんじゃないですか?」でいいと思うんですね。で、今は「私にできることをやりましょう」と子ども食堂などがはやっている。「身近にできることは何でしょう?」みたいな話ですよね。私もよくマスコミの取材や講演などで質問されますが、質問でいちばん多いのが「私たちに何ができますか?」ですね。
具体的に一人ひとりが寄付をしたり、子ども食堂を始めたりするのも、もちろん重要なんですが、でも、もうちょっと大きな日本としての貧困対策をどうするかっていうことも考えてほしいんです。
たとえば、多くの先進諸国では、家計の中で非常に住宅費が高い人たちに対しては、政府からお金が出る、家賃補助が出る。この話、みんな知らないんですよ。「この事実を聞いて、どう思います?」と問われたときに、「へえ、そうなんだ。外国はすごいなあ」だけで終わらないで、「ならば、日本もやるべきよね。そうであってもおかしくないよ」っていうふうに話が進んでほしいんですよ。だけど、そういった話になかなかならない。
鈴木 大介(以下、鈴木):耳が痛いですね。僕なんかも現場の当事者の声を代弁するルポライター以上の活動はしていませんが、確かにそうした声をまとめて政策の議論として語れている論者が欠けているし、そんなコンテンツも欠けている気がします。新聞の論説委員クラスの人にそもそも貧困の実態を知ってもらうことが非常に困難だと思ってきました。
阿部:生活保護についてもそうです。「日本の生活保護者は人口の1.7%しかいないんですよ。アメリカでは13.0%いるのに。知ってますか?」と問われて、「アメリカの格差社会ってひどい」といった感想で終わってほしくない。自分たちの問題として引きつけ、「日本では受給できる人が少なすぎるんじゃないかな。日本ってどっかおかしいから、変えるべきことがあるんじゃないかな」と、そこまで話を持っていってほしいんです。
鈴木:耳がメチャ痛いんですが。でも、そうした議論にまで踏み込むとメディア的に「企画が通りづらい」のも肌感覚としてわかるのが悔しい。