異業種でも「即戦力」評価、ダイエー元社員の転身先
カリスマ経営者、故・中内Y氏が率いたダイエーには、ピーク時で2万2000人近い社員がいた(1995年2月期末、単体べース)。だが、阪神大震災後に始まり、幾度も繰り返されたリストラによって、社員数はその後減少を続けた。産業再生機構による支援を経てイオン傘下に入った現在は、その数6000人弱。ダイエーを去った社員はどのように転身していったのか。
あるヘッドハンティング会社の社長によれば、「ダイエーには『売れる』人材が多い」。同じ小売りでも効率経営で知られるイトーヨーカ堂の出身者は、会社の外に出てしまうと案外力を発揮できない傾向が強いという。ダイエーの場合は、組織より「人」をベースに仕事をする風土が強く、いわば何でもこなす「多能工」として鍛えられている。それだけに、違う組織への適応性が高い即戦力として期待されるそうだ。
「前向きな仕事」を求めダイエーを去る
匿名を条件に取材に応じてくれたのが、ある専門店チェーンで働く山崎賢一さん(仮名、50)だ。山崎さんは新卒でダイエーに入社し、スタッフ部門を歩んだ。「同期では出世は早いほうでしたが、43歳のとき、部長で退職しました」と話す。
90年代後半からのリストラの過程で子会社の整理、売却などの仕事をしていたが、「もっと前向きの仕事をしたい」と思ったのが退職の動機だ。上司に退職の意思を告げたが引き留めに遭い、実際に退職するまでに「2年かかった」(本人)というからかなり優秀だったのだろう。
ダイエー退社後は友人の紹介で上場を準備中のメーカーに入り、株式公開の実務に関与した。だが、「やはり小売業のほうが面白い」と感じ、現在の会社に転職した。
「フランチャイズ店舗網の再編が私の仕事です。休日も関係なく全国で現地調査をし、方針を決めています。忙しいけど楽しく、充実しています」と元気に話す。年収は1度目の転職先でも現在の職場でも、最高で1000万円前後だったダイエー時代を上回っているそうだ。「ダイエーではそれこそ“何でも屋”的に仕事しました。会社の新しい制度づくりから、子会社の売却まで経験しましたし」と言う山崎さんは「ダイエーでの仕事のキャリアが転職の武器になりました」と振り返る。
山崎さんと同世代の西田昭雄さん(仮名、51)は、辞める直前には本社スタッフ部門で課長を務めていたが、「1000万円くらいだった年収が業績の悪化で800万円前後に落ち、仕事も後ろ向きのものばかりになったときに、先にダイエーを辞めていた先輩に誘われました」。
子供が大学に入り、学費がかかるようになった時期と年収の低下が重なったのが転職の大きな動機となった。その後、ダイエー時代の元上司に誘われ、三つ目の職場である現在の会社に。
「企業風土が違うので戸惑う面もありますが仕事は楽しくやっています。年収もダイエーでのピーク時並みに回復しました」と明るい表情だ。
前出の山崎さんによれば「ダイエーの元社員は仲間意識が強く、自分がよい会社だと思ったら昔の仲間を誘う傾向があります」とのこと。「20人、30人の単位でダイエーOBがいる会社」として、健康食品のファンケル、持ち帰りずし、回転ずしのちよだ鮨、人材派遣のスタッフサービスなどの社名を挙げてくれた。
食品スーパー、カスミの小濱裕正社長や、ドラッグストア、クリエイトエス・ディーの若尾鐵志郎社長など、有力企業の舵取りを任された元ダイエー幹部も多い。流通業界にとどまらず、ダイエー人脈は確実に日本のビジネス界に根を張っている。
(週刊東洋経済)
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