最良のソプラノ、モンセラート・カバリエ死去 「バルセロナ」で知られるカタルーニャの歌手

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2011年6月に撮影されたモンセラート・カバリエ(写真:REUTERS/Lisi Niesner)

彼女はイタリアオペラでの活躍でも知られ、故人であるテナーのルチアーノ・パバロッティとも共演した。

カバリエが1972年から1992年にかけて多数公演したロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスも、彼女は「何百万人を感動させた」と述べ、哀悼の意を表明した。

葬儀は8日に実施

多くの反響のなか、スペインのペドロ・サンチェス首相は「悲しい知らせだ。世界中に知られたソプラノ・オペラ歌手、我が国の偉大な大使を失った。彼女の声と優しさはいつも我々とともにあるだろう」とツイートした。

政府関係者は、月曜の日中バルセロナのラス・コルツ墓地で行われるカバリエの葬儀に、サンチェス首相は出席するだろう、と述べた。カバリエは 「ベル・カント・レペルトワール」の現代における最良の主唱者のひとりとみなされていたと、スペインのホセ・ギラオ文化相は述べた。

「彼女の死は巨大な空白を残した」と彼は語った。カバリエの60年近い国際的なキャリアは、バーゼルからニューヨーク、またその先にまで及ぶ。彼女は最初にスイスのその都市で、1956年にラ・ボエームのミミ役を演じた。その後ブレーメン・オペラに転じ、1959年から1962年まで幅広い役を演じた。

1965年、ニューヨークのカーネギー・ホールで、ドニゼッティのルクレッィア・ボルジアに出演し、広く世界的に知られることとなった。公演は彼女に対する絶賛を大衆から勝ち取り、彼女は一夜にしてスターとなった。この成功がきっかけとなり、同年メトロポリタン・オペラでの、グノーのファウストでのマルグリート役としてのデビューにつながった。

カタルーニャの都市カンブリスでの2014年8月の公演が、彼女の最後の舞台となった。

しかしながら、輝かしく成功に満ちた生涯にもかかわらず、議論を全く呼ばなかったわけではなかった。長引く経済危機のもと、巨額の公共財政赤字を抑制しようと、スペインが脱税を厳しく取締っていた2015年当時、カバリエは25万ユーロの罰金と、6か月の名目的な刑期に同意した。

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