「お墓の問題」に悩む人が勿体なさすぎる理由 時代に合わない伝統に縛られなくてもいい

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明治になって、寺請制度がなくなる。すると葬式仏教だけが残った。そこへ、明治政府の「家制度」が始まる。すると「先祖代々の墓」なるものが現れ、ここで「一緒の墓に入る」とか、「墓を継ぐ」とか「代々の墓を守る」という意識が生まれてくるのだ。

さらに、土地不足と公衆衛生の観点から火葬が推奨された。明治の思想家として有名な中江兆民は「人が死ねば墓地ばかりが増えて、宅地や耕地を侵食する。自分の場合は、火葬した骨と灰を海中に投棄してほしい」と書いている(兆民は無宗教の人だから、葬式も拒否。代わりに行われたのが日本初の「告別式」だ。あれは元々、宗教とは別のものとして始まった)。

しかしそれでも、全国の火葬率は明治半ばで30%、大正時代で40%。50%を越えたのは戦後の1950年代。火葬施設が整えられることで1980年代に90%を越え、現在はほぼ100%。日本は世界一の火葬大国なのだ。

移りゆく「伝統」に縛られなくてもいい

戦後、家制度はなくなる。生まれた土地から離れて暮らす人々も増える。「地元のお寺・お坊さん・お墓」と「人」との関係は、どんどん希薄になっていく。当然、檀家を前提にした寺の経営は苦しくなる。

そこで葬儀社が葬祭一式を取り仕切るようになった(葬儀社は、すでに明治時代、東京に誕生している)。もはやお寺のお坊さんは、セレモニーホールで葬儀社が仕切るイベントの中の、いち登場人物(重要ではあるが)にすぎない。いつの間にか社会的な儀式であったはずの「告別式」も宗教的儀式の中に取り込まれている。

人は必ず死ぬ。それは大昔から変わらない。だから、葬儀や墓に関する「伝統」も大昔から変わらないと思いきや、こんなに変わって来ているのだ。

となると、「先祖代々の墓」に「一緒に入る、入りたくない」で家族同士が争ったり、「継ぐ」とか「守る」で頭を悩ますことにも、あまり意味はないようにも思える。

信心・信仰というのは心の中のことだから、目に見えない。なので、さまざまな儀式を必要とする。ほとんどの人には意味のわからないお経とか、お焼香の回数とか、四十九日法要とか、一周忌、三回忌、七回忌……。お墓の魂入れ、墓じまいの魂抜き……など。一般の人にとって「宗教は儀式に宿る」。

その儀式が時代に合わなくなれば更新して、再設定すればいい。「伝統」とは、人が生きやすいために作った決め事の集積にすぎない。時代に合わなくなった伝統に縛られて生きている人々が悩まされるとしたら、きっと「代々のご先祖様」も喜ばないだろう。

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