天皇陛下が戦没者を慰霊する旅を続けた理由 戦争と向き合い新たな皇室の時代を築いた
天皇陛下の即位から、しばらくの間は、日本の戦争責任をめぐる議論が盛んで、1995年の村山富市首相(当時)による謝罪(村山談話)を含め、日本政府の謝罪がたびたび行われた。
こうした謝罪や、学校で子どもたちに日本が戦時中に行ったことについて教えようとする試みは、「自虐的」な歴史を教えることで日本人のプライドやアイデンティティーを損なわせるとして、保守派からの大々的な反撃を引き起こした。
1992年、天皇陛下は近代の皇室として初めて中国を訪問した。国内の右派勢力は訪中に反発、中国の活動家は天皇陛下に謝罪を要求した。
天皇陛下は、中国で「両国の関係の永きにわたる歴史において、我が国が中国国民に対し、多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります」と述べた。
その翌年から、天皇陛下は戦争の舞台となった地への訪問を始める。最初の訪問地は戦争で多大な犠牲を払った沖縄だった。1995年からは長崎、広島などへの「慰霊の旅」を続けた。
海外の戦地
戦後60年、天皇陛下は海外の戦地として、最初にサイパン島を訪問した。羽毛田元宮内庁長官は「(天皇陛下は)国内だけでなく、国外でも先の大戦で犠牲になった、日本人だけでなく、世界の人に対して慰霊したいということを、前から強くご希望だった」と振り返る。
同氏は「外国訪問は基本的に受身のことが多いが、この件に関しては、陛下の非常に強いご希望があり、その意味で異例な外国訪問だったと思う」と述べた。
天皇陛下は、高齢に加え、心臓手術や前立腺がんを患ったにもかかわらず、その後もこの戦地訪問を続けてきた。
1944年に激しい戦闘があったパラオのペリリュー島へは2015年に訪問、2016年にはフィリピン、今年は沖縄を再訪問した。
2015年8月15日の終戦70周年の戦没者追悼式では、戦争について「深い反省」との言葉を使い、これまでの「深い悲しみ」という表現から一歩踏み込んだ。
安倍晋三首相はこの前日に、「痛惜の念」を表すと述べつつも「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と述べており、天皇陛下の言葉は、安倍首相に対し婉曲に異を唱えたものだと受け止める向きが多かった。
82歳の誕生日に行った2015年の記者会見で、天皇陛下は「この1年を振り返ると、様々な面で先の戦争のことを考えて過ごした1年だったように思います。年々、戦争を知らない世代が増加していきますが、先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なことと思います」と述べた。
天皇陛下の後を継ぐ徳仁(なるひと)皇太子(58)は、天皇陛下と考えをともにする。しかし、皇太子が天皇に即位したあと、日本人の若い世代がどれほど天皇陛下の発言に影響を受けるかは不明だ。
終戦時に11歳だった父親とは異なり、皇太子は戦争を知らない。慶應義塾大の笠原英彦教授は言う。皇太子が天皇になった時に「『反省』と言われたら、多くの人は『何の反省?』と聞くだろう」。
(リンダ・シーグ、翻訳:宮崎亜巳)
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