池上彰が説く「平成後の元号、何に決まるか」 M・T・S・H以外の頭文字の言葉になる意味
「昭和」は『書経』で「百姓昭明(ひゃくせいしょうめい)にして、萬邦(ばんぽう)を協和(きょうわ)す」。世界の人々がみな平和に暮らせますように、という意味です。
そして「平成」は『史記』の「内平かに外成る」と、『書経』の「地平かに天成る」の2つが由来となっています。国内も世界も平和になるように、ということですね。
明治以前は、1人の天皇の代で、何度も元号を変えることがありました。けれども明治になって、天皇1代の間に元号は1つのみ使用するという「一世一元の制」が定められました。戦後、1度は一世一元の制はなくなりましたが、1979年に元号法が制定され、一世一元の制が再び制度化されることになったわけです。
1979年に元号法が制定されたとき、その制定基準が以下のように示されました。
イ 漢字二字であること。
ウ 書きやすいこと。
エ 読みやすいこと。
オ これまでの元号や諡(おくりな)として用いられたものでないこと。
カ 俗用されているものではないこと。
オには、これまでの元号と同じ言葉ではいけないとありますが、これは中国で使われた元号も含まれます。また、「諡」というのは、天皇や皇后などが崩御したあとに贈られる称号のことです。
「M・T・S・H」以外の頭文字
この6つの基準に加えて、ルールにはなっていませんが、もう1つ大事な基準があると言われています。それは、アルファベットにしたときに、明治以降の元号とは頭文字が同じにならないようにすることです。
お役所の書類などでは、元号が「M・T・S・H」とアルファベットの頭文字で簡略化されていることがあります。この4つと同じになると紛らわしいので、次の元号をアルファベットにしたときの頭文字は、「M・T・S・H」以外になるのではないか、と推測できるわけです。
では、元号は誰が考え、どういうプロセスで決まるのでしょうか。この点も、元号の制定基準とともに発表されています。
まず内閣総理大臣が、中国の古典に詳しい有識者や研究者数人に、候補名を考えてもらうように依頼をします。それらを先ほどの基準と照らし合わせて絞り込み、最終的には閣議で議論をして決定することになっています。
「平成」が決まった過程も、この流れに従っています。昭和の時代にすでに、「平成」「正化(せいか)「修文(しゅうぶん)」という3案まで絞り込まれていました。天皇が崩御された当日に、有識者の懇談会が開かれ、そこで「平成」が支持され、その後、内閣の全閣僚会議で正式に「平成」に決定しました。
ちなみに、前の3案をアルファベットにすると、「正化」「修文」はどちらも頭文字がSですね。これでは昭和のSと重なってしまう。それで「平成」に決まったと考えられています。
ただ、うがった見方をすると、内閣は、明らかに最初から「平成」にするつもりでいた。だから有識者の懇談会でもすぐに結論が出るように、Sで始まる「正化」と「修文」を候補に入れたのではないか、とも考えられています。
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