世界で日本だけが「元号」に固執し続ける理由 このガラパゴスな慣習はいつまで続くのか?
ところが、明治以前だと、改元は御代替わり以外にも頻繁に行われてきた。8~9世紀の天皇への珍しい亀の献上や、美しい雲の出現など慶事をきっかけに改元(元号を改めること)する時代を経て、10世紀ごろからは災害などを理由とした改元が増えてくる。
また、朝廷よりも武家が権力を持った鎌倉時代や江戸時代には、天皇の御代替わりによる改元が形式的なものになる。朝廷は、時の政権が決めた元号を手続き的に認める役割にとどまる。
ただ、たとえ形だけであるにしても、「昭和」までの246個の元号は最終的にはすべて天皇が決めてきた。だから、確かに保守派の主張通り、元号は天皇の権威とストレートに結びついている。
元号を決めるのは天皇から内閣総理大臣に変わった
戦前の大日本帝国憲法(明治憲法)下での元号は、勅定=天皇自らが決めるものとして明記されていた。加えて、その公表のしかたは、「詔書(しょうしょ)」を用いると決められていた。詔書とは、教育勅語のように、天皇が公務として自らの意思を明らかにする文書であり、法的効力を持つ。つまり、大日本帝国憲法における改元とは、最高権力者である天皇による権威を示すイベントだった。
ところが、戦後に元号はその法的根拠を失う。GHQにより、上記の法的根拠だけでなく、元号そのものについてまったく明文化されなくなってしまったからだ。政府は「事実たる慣習」としてなんとか元号を存続させた上で、ようやく1979年に「元号法」の制定にこぎつける。同法では、「元号は、政令で定める」とある。政令とは、端的に言えば、内閣による命令である。現代では、元号を決めるのは天皇ではなく内閣総理大臣なのである。
すなわち、現在の元号法が続く限り、平成以降の元号はすべて天皇ではなく、首相が決めることが予定されている。となると、保守派の主張のように元号が天皇の権威を示す記号であるとは言えないのではないか。
それでも、保守派の理屈からすれば、「一世一元の制度をとる元号は、世界で日本が唯一である以上、あくまでも元号は天皇の権威を示している」と言えるかもしれない。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら