金正恩氏、女性の扱いはかなり西洋的だった かなり目立つ美人妻、李雪主氏の正体

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金正恩氏の妻である李雪主夫人。公式の場で手までつなぐほど、正恩氏は女性の扱いは「西洋的」とされている(写真:KCNA via Reuters)

2012年7月上旬、北朝鮮の専門家たちはあることに目を留め始めていた。最高指導者の座に就いたばかりの金正恩労働党委員長が、正体不明の美貌の女性を伴って公の場に姿を現すことが増えていたのだ。

本記事はNK News(北朝鮮ニュース)の翻訳記事です

妻か恋人ではないかとの臆測が駆け巡った。だが、北朝鮮にとっては珍しいことに、謎はすぐに解けた。7月下旬には早くも国営メディアによって正恩氏の妻であることが示され、名前も明らかになった。現在では周知の事実となっているが、金正恩氏の夫人とは李雪主(リ・ソルジュ)氏。元歌手で音楽家、北朝鮮の応援団「美女軍団」の一員だったこともある。

最高指導者の妻がいきなり公の場に姿を現すのは、北朝鮮では極めて異例だ。一部の例外を除けば、最高指導者の妻が公人扱いされることはこれまでなかった。

目立たなかった“将軍様の女たち”

北朝鮮を建国した金日成主席は少なくとも2度、結婚している。また、相当な数の愛人がいたようだ。

日成氏が最初に結婚した相手(実際は2番目だった可能性もある)、金正淑(キム・ジョンスク)氏は現在、金一族が支配する北朝鮮においては半ば神格化された地位を与えられている。正淑夫人は、日成氏、息子の金正日氏と並んで「白頭山の三大将軍」と呼ばれる。確かに、正淑夫人は抗日パルチザン部隊の戦士だった。ただ、部隊で料理や裁縫を担当していた人物を「大将軍」と呼ぶのは、やや誇張がすぎるかもしれない。

とはいえ、正淑夫人の名前が広く知れ渡るようになったのは、同夫人が死去してからのことで、わりと最近だ。1960年代末まで、正淑夫人の名前が北朝鮮メディアに出ることは、まずなかった。正淑夫人が死後に重要人物として扱われるようになったのは、長男の金正日総書記が最高指導者の地位を継承したことが大きい。

正淑夫人は1949年、出産中に死亡。「偉大なる首領様」と呼ばれた日成氏はその後すぐに、自身の秘書をしていた金聖愛(キム・ソンエ)氏を後妻に迎え入れる。同夫人の存在が明るみに出たのは1965年。国営メディアに名前が出たことがきっかけだった。1970年代の一時期にはかなりの影響力を手にし、朝鮮民主女性同盟委員長の肩書を有していたこともある。

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