金正恩氏、女性の扱いはかなり西洋的だった かなり目立つ美人妻、李雪主氏の正体
李雪主夫人が半ば公人のようにして表舞台に出てきたことは、西側諸国ではおおむね好意的に受け止められている。西側諸国のジャーナリストや評論家は、このような女性が現れると、その国がオープンになってきた兆しだと考えるようだ。
何十年も前のことだが、旧ソビエト連邦の政治家を批判する西側の新聞記事を読んだことがある。その新聞は、ブレジネフ政権の指導者たちは秘密主義的で信用できない、なぜなら「夫人を表に出さずに隠しているからだ」と書いていた。
これを読んだとき、どう思ったかは今でもよく覚えている。当時の私には、いかにも奇妙で滑稽な主張に思えたからだ。私も含めて、自分のまわりにはそんなふうに考える人間は一人もいなかった。1970年代のソビエト国民は、後にソ連が崩壊したことからもはっきりとわかるように、体制のあり方には不満を持っていた。だが、指導者たちが家族について沈黙を貫くのは当然だし、そうするのが適切だと考えられていたのである。
ロシアのファーストレディは嫌われた
1917年のロシア革命によって絶対王制が終焉してからの101年間を見渡しても、旧ソ連およびロシアで夫人に公的な立場を与えた指導者は2人しかいない。2人とも西側メディアからは称賛されたが、国内での立場はひどく傷つき、失脚するはめになった。
1人目はニキータ・フルシチョフ氏。鉛管工からソ連共産党の頂点にまで上り詰めた人物で、1953年から1964年まで党第一書記として最高指導者の地位にあった。前任のヨシフ・スターリンは猜疑心が強く、秘密主義的で、妻も亡くしていたが、こうしたスターリンとは違い、フルシチョフ氏は夫人同伴で他国に出かけることが多かった。
ニーナ夫人は西側諸国の基準からすれば目立つ存在ではなかったが(たとえば、ブランド物の服は着ていなかった)、ロシア人の多くは腹を立てた。夫人は心ないジョークのネタにされ、国内では軽蔑の対象になった。夫のフルシチョフ氏に好感を抱いていた人たちでさえ、夫人には反感を持っていた。
フルシチョフ氏の後に権力を掌握した者たちは、この教訓に学んだ。1964〜1982年の20年近くにわたって国を治めたレオニード・ブレジネフ氏でさえ例外ではない。夫人がファーストレディとして世の中的に目立つのを国民が快く思わないことを知ったソ連の指導者たちは、古い慣習に立ち返り、夫人を表舞台に登場させなかった。