金正恩氏、女性の扱いはかなり西洋的だった かなり目立つ美人妻、李雪主氏の正体
金日成氏や金正日氏も、これとほぼ同様の方針をとっていたといえる。ただ、北朝鮮と違って、ソ連で政府の要人が正日氏のような派手な女遊びを行っていたとしたら大変なことになっていたはずだ。
確かに、ソ連の指導者の妻も、外交的なもてなしの場には時折、姿を見せることがあった。西側の慣例に基づいてセッティングされたイベントで、夫婦同伴が期待されているような場面だ。半公式のコンサートや文化イベントなどに夫人が同伴することは、ごく希にしかなかった。ただ、そういう場合でも夫人は努めて目立たないようにするのが通例だった。
この慣例を打ち破ったのが、ミハイル・ゴルバチョフ氏だ。ソ連の歴史上、最も急進的な改革者として知られる同氏は、ライサ夫人にもソ連ではそれまで見たこともないような重要な役割を与えた。しばらくの間、ライサ夫人は米国のファーストレディ同様に振る舞った。ある種の慈善事業に関与することさえあった。
だが、ライサ夫人が重要人物になったことで、ゴルバチョフ氏はまもなく国民から激しい反発にさらされることになる。私はそういう時代を生きてきた人間だから、実感をもって語ることができる。ライサ夫人は国民から嫌われていた。ゴルバチョフ氏を好意的に見ている少数派の国民の間ですら、ひどく不人気だったのだ。
プーチン大統領は恋人を隣に立たせない
このような反感は、保守的な考え方から出てきたものでは必ずしもない。ましてや、男尊女卑などとはまるで関係がなかった。問題はむしろ、ファーストレディをセレブに仕立て上げようとする西側諸国の慣行が、前近代的な発想に基づいていることにある。大統領の妻をかつての女王のように扱うのは、封建時代の名残といっていいだろう。
最高指導者の妻が有名になるのをソビエト国民が快く思わなかったのは、それが近代的な原理原則に基づくものではなかったからだ。ソビエト国民は、能力や適性を備えた人物が指導者になるべきだと考えていた。その選出方法は恐ろしく非民主的なものだったかもしれないが、ブレジネフ氏やその後継者だったユーリ・アンドロポフ氏といった人物には、いい意味でも悪い意味でも、ソ連という国のトップに君臨する者としての資質があった。
だが、指導者層の妻たちがその地位にあるのは、本人に公的な能力や資質があるかどうかとはまったく関係がない。指導者層の妻が何らかの公務に関与するのを目にしたソビエト国民は、たいていこのように思ったはずだ。この女性に公務を行う資格はあるのか、と。この女性はただ、政府の要職にある男性と結婚し、同じ家に住み、ベッドを共にしているだけなのではないか、と。