熱海が「イケてない街」から脱せた本当の意味 これは日本のどの地方にも応用できる事例だ
1970年代初頭にはすでに「イケてない街」
父が勤めていた会社の保養所があったため、幼いころから熱海は私にとってなじみのある場所だった。ただし子どもの目から見ても、1970年代初頭にはすでにそこは「イケてない街」でもあった。
保養所のあった来宮は静かで居心地のよい環境だったが、「どこかに行こうか」と駅前に降りるたび、雑然としていて騒がしく、品のない雰囲気に失望させられるのだった。しかし、それすらも魅力であり、なぜか惹きつけられる魅力が熱海にはあったのだった。
そんなこともあり、いまでもときどき、熱海の話題が飛び交う掲示板を除いてみることがある。しかし、それらをチェックするたびいつも「自分はなぜここまで、熱海のことが気になるのだろう?」と不思議な気分になったりもする。
だから当然のことながら、『熱海の奇跡』(市来広一郎著、東洋経済新報社)を目にしたときにも、大きな期待感を抱いた。
市来氏は現在、「株式会社machimori代表取締役」「NPO法人atamista代表理事」「一般社団法人熱海市観光協会理事」「一般社団法人ジャパン・オンパク理事」「一般社団法人日本まちやど協会理事」と、熱海に関する複数の肩書を持つ。熱海市に生まれ、高校までを地元で過ごした人物。
市来氏の両親は、企業の保養所や別荘の多い桃山地区にあった、銀行の保養所で管理人を務めていたのだそうだ。つまり小学生時代がバブル経済の時期だった市来氏も、好景気に沸く熱海の光景を目の当たりにしていたのである。
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