熱海が「イケてない街」から脱せた本当の意味 これは日本のどの地方にも応用できる事例だ

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古い街をただ壊すのでも、そのまましがみつくのでもなく甦らせた(写真:serge001/iStock)

1970年代初頭にはすでに「イケてない街」

父が勤めていた会社の保養所があったため、幼いころから熱海は私にとってなじみのある場所だった。ただし子どもの目から見ても、1970年代初頭にはすでにそこは「イケてない街」でもあった。

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保養所のあった来宮は静かで居心地のよい環境だったが、「どこかに行こうか」と駅前に降りるたび、雑然としていて騒がしく、品のない雰囲気に失望させられるのだった。しかし、それすらも魅力であり、なぜか惹きつけられる魅力が熱海にはあったのだった。

そんなこともあり、いまでもときどき、熱海の話題が飛び交う掲示板を除いてみることがある。しかし、それらをチェックするたびいつも「自分はなぜここまで、熱海のことが気になるのだろう?」と不思議な気分になったりもする。

だから当然のことながら、『熱海の奇跡』(市来広一郎著、東洋経済新報社)を目にしたときにも、大きな期待感を抱いた。

市来氏は現在、「株式会社machimori代表取締役」「NPO法人atamista代表理事」「一般社団法人熱海市観光協会理事」「一般社団法人ジャパン・オンパク理事」「一般社団法人日本まちやど協会理事」と、熱海に関する複数の肩書を持つ。熱海市に生まれ、高校までを地元で過ごした人物。

市来氏の両親は、企業の保養所や別荘の多い桃山地区にあった、銀行の保養所で管理人を務めていたのだそうだ。つまり小学生時代がバブル経済の時期だった市来氏も、好景気に沸く熱海の光景を目の当たりにしていたのである。

幼い頃の保養所はいつもにぎわっていて、活気があったことを覚えています。多くの宴会があって、団体で来たお客さんたちが麻雀をやっているところでお客さんに遊んでもらい、麻雀を教えてもらった記憶もあります。近隣のほかの別荘や企業保養所も同様で、いつも大勢の人が訪れていたものです。(中略)幼かった頃の私の記憶にある熱海は、大勢の観光客が集まる、活気のある街だったのです。(25~26ページより)
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